2010年12月12日日曜日

1212

日経BP社主催の、西日本アカデミックサポートプログラム(西日本 インカレ ゼミ発表大会)、が大阪経済大学にて開催れた。僕のゼミからも一つチームが参加した。そして、僕のゼミ代表が、栄えあるグランプリに輝いた。

「初めて聴く人にも分かりやすく話すこと」「自分たちが実際に手足を動かして得た情報しか使わないこと」「オリジナリティを追求すること」をテーマに、これまで学生さんたちは、不安や恥ずかしさ(街頭調査などを嫌ほど行った)を乗り越えて、研究に取り組んできた。

行動経済学で取り扱われる「バンドワゴン効果」について、紅茶のテイスティング実験という社会実験を元に(他の実験も加えて)、その発生条件を考えるという、壮大なテーマである。

道ゆく見知らぬ人に、「得体のしれない液体を飲んでもらう」というのは、とても骨の折れる作業である。そういう社会実験を400人を遥かに超える人々に対して行ったという事実だけでも、彼/彼女らの努力は並大抵のものではないと思う。僕のような安楽椅子(アームチェア)理論経済研究者には、到底出来ない作業である。

それだけでなく、僕のゼミ生さん達は、プレゼンテーションの練習も、人一倍時間をかけてやってきた。原稿を見ない・持たないこと、聴衆の目を見ること、表情を作ること、「この部分で一秒ほど間をとり、この部分では少しゆっくり目に発話すること」そういう細かな練習を繰り返し、完璧なプレゼンを作るべく練習していたのだ。

プレゼンター自身がしっくりこない部分、論理的に納得出来ない部分をぎりぎりまで排除し、大切な部分は聴衆がうっかり聞き逃しても後でリカバーできるように配慮するなど、細心の注意を考慮した、本当によくできたプレゼンテーションだったと思う。


そして、何より僕がプレゼンターの2人を褒めてあげたいのは、「前に出てプレゼンをおこなったこと」である。他の大学チームのプレゼンも素晴らしかった。ただ、一つ、プレゼンのデリバリーに関して決定的な差があるとしたら、それはスクリーンを背にして舞台の中央、そしてスクリーンの袖、舞台の端、と縦横無尽に、ゆっくり動きながらプレゼンをおこなったことだろう。他の全てのチームは、舞台の1番奥、原稿台がある場所に不動でプレゼンをおこなっていた。

たくさんの聴衆の前で、原稿も持たず、スクリーンを背にして、前に出る。これはとても勇気の要ることだ。しかし、そうやって、自分の他に頼るものをなくして初めて、発せられた言葉が「自分の言葉」になるのだと、僕は気付いた。

僕はプレゼンを練習する学生さんたちに何度も
「まだまだ自分の言葉じゃないね。そんなんじゃ、会場の全員が『僕に向かって話しているのではないな』と感じるよ。君らいったい誰に向かって話してんの?」
と(僕自身が出来ないようなことを)アドバイスしていた。プレゼンターの2人は、あの大舞台で確かに、みんなに向かって話していた。僕は鳥肌が立った。



そうは言っても、まだまだ改善の余地がある。そしてこの大会に優勝してもなお、その改善点について今後の課題を模索している学生さんたちを見て、僕は何とも言えない嬉しさでいっぱいになるのだ。


本当におめでとう。当初からの目標をきちんと叶えたこと誇りに思ってください。


大会の後、優勝チームと一緒に祝杯をあげた。「いけるところまでいこう」と言いながら頑張ってきたこの取り組みも、これでひとまずお終い、となる。その寂しさもあるのだけど、彼/彼女らがこれから就職活動で忙しくなってしまい、ゼミ活動とは疎遠になってしまうことの寂しさを、僕は感じた。




2010年12月5日日曜日

1205

応用地域学会2010 名古屋大会「環境政策の経済分析」セッションにて、論文を報告させて頂きました。
討論者の先生や座長の先生から、多くの建設的なご意見を頂きました。そのうちのいくつかは、発表論文には組み込むことはできそうにありませんが、その先の論文の構想に有益なものであり、大変感謝しています。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。

初めて参加した学会でしたが、学会後の食事会も含めて、刺激(食事の刺激は、タイ料理の辛さ(笑))的な出張となりました。また、経済学とは少し毛色の違う、OR系の報告もいくつか聞きました。分野が違うと、分析する内容は似ていてもアプローチが全然違うことに、大変驚きました。僕には、何でも彼んでもagent間の戦略的相互依存関係で説明してみようとする(悪い)癖があるので、特にロケーション問題などのOR的なアプローチには、少し戸惑いを感じました。両者をつなぐ研究、という方向性も、面白いかもしれないなぁなどと、そんなことを思いました。

2010年12月2日木曜日

1202

講義1コマ、演習1コマ。

卒論シーズン真っ盛り。僕のゼミ生も例に漏れず今頃になって慌てふためいているのだけど、中にはとても面白そうな卒論を進めている学生さんがいる。

その中の一人は、都道府県別の肥満率の差異を、飼われているペットの種類、で回帰しようという試みを行っている。具体的には、県別の「ペットとして犬が飼われている」「ペットとして猫が飼われている」の割合のデータを使用する。犬は飼うと散歩が必要なのに対して、猫は散歩が必要でない、だから、犬が多く飼われている県は猫が多く飼われている県よりも肥満率が低くなるだろう、というロジックである。(逆の因果性についても考慮が必要である。そもそも肥満でないから、猫よりも犬をペットとして選んでいるのかもしれない、からだ。)

こういう研究は僕は個人的に大好きだ。素朴な発想を、それなりの学問的なツールを使って明らかにしてみせようという、その態度自体に好感が持てる。不思議なことに「卒論」と言うと、あまり真剣に考えていない学生さんほど、アカデミックな学問ぽいテーマを選ぶことが多いようだ(やる気や知識のなさを、テーマの堅さが補ってくれると考えているのかもしれない。当然、そんな甘い話ではない)。

僕の密かな楽しみとしては、『もし犬を飼うことが肥満を抑制することに繋がるのならば、(少々paternalisticだが)政府は国民の肥満を抑えるために、ペットとしての犬に補助金を与えれば…、って綱吉かよ!』という一人ツッコミの一文を、彼の卒論の註にでも入れてもらうことだ。これは冗談。
___

今週の日曜日、名古屋大学において開かれる応用地域学会名古屋大会の準備も何とか終わる。プログラムには論題が"Firm Incentives for Environmental R&D under Non-cooperative and Cooperative Policies"と書いてあるが、論文のタイトルを"Environmental Innovation and Policy Harmonization in International Oligopoly"に変更している。討論者は南山大学の寳多先生。

報告スライドは以前別の学会で前バージョンを報告したときに使用した英語のものを、新たに日本語に書き直した。指導している学生さんには、普段から「もっと図解されていて、良いビジュアルの、インパクトのあるプレゼンの資料をつくってください」などと指導している割には、自分のものは無愛想につくりたくなる。ビジネスのプレゼンにないような「無骨ぽさ」を演出したくなるのは、なぜだろう。

ここでの報告が終わり次第、頂いたコメントや反応を組み込んで、投稿しようと考えている。どのような投稿先が考えられるのか?についても、学会で諸先生方からアドバイスが貰えれば嬉しく思う。
___

2010年12月1日水曜日

1201

講義1コマ、演習1コマ。

演習では、同じ大学のO先生のゼミと合同で、ディベート大会の1回戦を行った。テーマは「日本における解雇規制を緩和するべきである」であり、僕のゼミが否定側、Oゼミが肯定側と分かれて、議論をした。

ディベートの勝敗はともかく(僕のゼミは大敗した)、議論の質の低さに、とても残念な思いがした。準備不足、チーム内での議論不足、論理性のない話し方、言葉遣いの悪さ、などなど、おおよそディベートと呼べる代物ではなかった。ゼミ大会などもあり、今回のディベートの為の準備期間が僅かしかとれなかったことや、就職活動の早期化で、3回生の学生さんが既に就職活動モードになっていることを考慮してもなお、お粗末なものだった。

ディベート大会は、次週も同様に行われる。厳しいコメントをしておいたので、次週はもう少ししっかりとした姿を見せてくれることを期待している。

___

論文のレフェリー作業を終え、レフェリーレポートをエディターに提出した。実はこの論文、2回も大幅にリバイズされて、僕は既に「少々のタイポを治したらアクセプト」という旨を通知していた。しかももう一人のレフェリーはまだ納得していない様子で、さらにリバイズされたバージョンの審査を行っていたのだ。何だか少し、以前のバージョンの方が良かった気がしないでもないが、気持ちよくアクセプトを伝えるレターを書いた。他人の論文ではあるが、パブリッシュされるのがとても楽しみだ。

環境政策と不完全なコンプライアンス

環境政策における imperfect compliance を扱った一連の研究をサーベイする。詳細なメモは後に残すとして、とりあえずメモ書き。

2010年11月18日木曜日

1118

来月の学会報告論文の最終稿を仕上げ、討論者の先生、座長の先生方に提出する。見直せば見直すほど、改訂したいポイントが出てくるのだけど、「締め切りを守る」という自分の中でのルールだけは守りたい。

次は報告用のスライドを作成しなければならないが、その前に投稿直前段階のバツイチ(一度リジェクトされている、の意)の論文を仕上げてしまおう。

___

夕方、僕の元基礎ゼミの学生さん2人が研究室を訪ねてくれた。ちょうど僕は、次の授業のために慌てて研究室を飛び出すところだった(しかも遅刻しそうな時間)ので、「ごめん、これから授業あるから!」と言うと、彼らも「僕らもありますよ」などと、さらりと言う。


…僕はまだ、自分の勤める大学の時間割をよく理解していないようだった。まだ次の授業まで20分弱あった。

2010年11月16日火曜日

1116

一日集中したおかげで、何とか論文の改訂を(一応)終えた。後は印刷して2日ほど空き時間に目を通して、誤字脱字のチェックをするだけとなった。校正業者に送るのは、投稿の直前にしよう。

さほどpathbreakingな論文ではないことは自分でもわかってはいるが、それでも中堅の海外査読誌あたりには十分掲載可能なレベルであると(捕らぬ狸の…)思っている。早くどこか落ち着き先(掲載先)を見つけてあげて、次の研究に取りかかりたい。

2010年11月15日月曜日

1115

講義1コマ、演習1コマ。

夕方、僕が指導している院生のK君が、研究室訪問。長く就職活動に苦労していた彼にも、ようやく内定を得られたようで、僕も心の底からの喜びを感じた。おめでとう、K君。

夜は来月報告予定の論文の改訂を進める。これまでの改訂を通じて、ずいぶんと見通しの良い論文になってきたように思う。今となってはこの改訂前の状態で、よくぞある雑誌に投稿などしたものだ、と自分が恥ずかしくなる。頂いたレフェリーレポートや学会報告での諸先生方のコメントのおかげで、ずいぶんと良くなった。あと2日で完成させる予定。1分1分を大切に使って、良いものを仕上げたい。

2010年11月14日日曜日

プロットのやりかたあれこれ

Mathematicaのメモ書き。

ある変数 f(a,b) と g(a,b) があり、ともにパラメータ a と b の関数であるとする。
このとき、この変数 a と b の大小関係は、パラメータ a, b の値に依存する。そして f > g となるのは(もしくは f < g となるのは)、aやbがどのような値をとるときなのか?をグラフィカルに表示したい場合は

ContourPlot[ f==g, {a, min, max}, {b, min, max} ]

で、 f = g ラインを横軸に a 、縦軸に b のグラフで表示してくれる。

(Solve[ f==g, b ] として、出力された解 b=z(a) を、Plot[ z(a), {a, min, max} ] とする場合よりも、ContourPlot を使うやり方はずいぶんと楽。当たり前のことだが、時々忘れてしまうのでメモ書き。)

2010年11月13日土曜日

1113

少し眠りすぎたよう。

学会報告用の論文の改定。その過程で予定していなかったモデルの一般化を、論文の最後に extension として含むことにした。そういう急な変更の為に、締め切りまでの改定作業はより困難なものになってきた。それでも何とかまだ時間はある。時間をより効率的に使って、なんとか仕上げたいと思う。

何かを得る価値は、(マージナルには)それを得る為に犠牲にしたものの価値で測られる。これは「機会費用」の概念で、経済学では最初に学習するべきものだけど、自分の時間の使い方を当てはめて考えると、いつも新しい発見と驚きをもたらしてくれる。

2010年11月12日金曜日

1112

会議が一つ、その後論文の改訂。

来月の応用地域学会で報告させてもらう論文の改訂作業を行う。Working Paper化した今のバージョンから、大幅に内容を追加…ではなくて、逆に「削り落とす」という作業を行う。現バージョンは「あれもこれも」とやり過ぎていて、セールスポイントがぼやけてしまっているので、そういう選択をすることにした。削ぎ落とされた部分は、別の要素を加えて、違うペーパーにしようかと考えてもいるが、もう役目は無いかもしれない。僕の興味はもう、完全に別の論文に移りかけているからだ(こまった性格です)。

貿易と環境の分野で著名なScott Taylor教授から僕のところに、ハードコピーで2本の論文が郵送されてきた。どちらもforthcoming paperらしく、会議中に読んでみるととても面白い論文だった。一つはアメリカのバッファローが消えた理由について(こちらにまとめ記事)、もう一つは環境クズネッツ曲線がシンプルなソローモデルで導出できるという論文(こちらの追記にまとめ)だった。どちらも、理論と実証を組み合わせた研究である。応用理論は実証と組み合わせて売らなければいけない時代になってきたのだろう。

___

先日、このブログにも書いた『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』の著者のニコラス・クリスタキスが、TEDでプレゼンテーションを行っていることを知った。リンク先は以下。

The Hidden Influence of Social Networks

How Social Networks Predict Epidemics

早速高画質バージョンをDLして視聴する。とても面白いし、なにより聞き取り易い英語が嬉しい。

アメリカの野生バッファローはなぜ消えた?

___

Taylor, S., "Buffalo Hunt: International Trade and the Virtual Extinction of the North American Bison", American Economic Review, forthcoming.

___

16世紀には、北アメリカには2500万〜3000万頭の野生バッファロー(アメリカンバイソン)が生息していたのだが、19世紀には1000頭あまりに激減したことはよく知られることである(Wikipediaリンク)。これに関しては、アメリカ軍隊やネイティブアメリカンの狩猟や、または大陸横断鉄道建設の邪魔になったということが要因として知られている。

著者のScott Taylorはこの現象に対して、国際貿易の理論、そして国際貿易の統計を用いた実証的な分析を通して、従来の説明とは違った要因を提示している。それは以下の3つである。

1. (当時の資料が示す)バッファロー関連製品の価格が、供給量の変化に対してほとんど変化しなかった(つまり、バッファロー関連製品の需要の価格弾力性が非常に高かった)こと。言い換えれば、バッファローが大量虐殺されて市場に多く供給されても、市場価格がそれほど下落しなかったことが、ハンターたちに大きな狩猟のインセンティブを与えたという説明を可能にする。
2. 鞣し(なめし)技術の進歩によって、バッファローの皮革が商業価値の高いものに商品化できるようになったこと。
3. バッファローの狩猟にたいする規制が政府によってなされず、オープンアクセス状態であったこと。

1.2.に関しては、ヨーロッパでの産業用皮革製品への需要と、ヨーロッパでの鞣し技術の発展が大きく影響し、3.に関しては、アメリカ政府の失策であることから、「野生バッファローの激減の要因は、国際貿易を通じたヨーロッパとの関係とアメリカの政策にある」ことを示している。

***

論文の前半はシンプルなrenewable resourceの理論モデルの提示、後半が実証的なデータやファクトの提示と分析という構成。実証パートは割と大雑把なものだけれど、「歴史的な事実に理論とデータで新しい見方を提示する」という研究は、読んでいてもやはり面白い。AERにforthcomingであるらしいが、それもうなずける。

(著者のScott Taylor教授からご親切にもハードコピーを郵送いただいたこともあって、ここで紹介させていただきました。)

2010年11月10日水曜日

1110

講義1コマ、演習1コマ。

iPad用のスタイラス(プリンストンテクノロジー PIP-TP2B)が届いた。アンチグレアの液晶保護フィルムを貼ったiPad(僕のiPad)上では、サラサラとしたとても素晴らしい書き味に驚く。

講義の時に、ホワイトボードの代わりになるかどうかを試す為に、少し書いてみた(内容は租税の帰着に関するものを適当に書いてみた)。試し書きなので白黒だが、もちろんカラーで書くこともできるし、PenultimateというiPadアプリは、書いたものがそのままVGA出力されてスライド投影されるので、完全にホワイトボードの代用となりうる(しかもUndo&Redoができたり、手書きノートをPDFやPNGで保存&メール送信もできる)。素晴らしい。

パワーポイント(やKeynote)で講義をすることのメリットは、学生さんが後から自力で復習できること、字がきれいなこと(僕のように字が下手な人間にとってはこれは意外に重要)。しかしデメリットもある。それはリアルタイムに図が描かれたり数式展開がなされたりする状況を、学生さんが体感することができないことだ。板書はその点において優位性がある。iPadで手書き投影がスムースにできれば、板書の利点と、書かれた物の保存(&配布)という2つの利点を活かすことができる。難点は、左の手書きノートを見ればおわかりのように、「字の汚さ」であること、これは間違いない(笑)

2010年11月9日火曜日

1109


関西に帰ってくる。通常通りの一日。

夕方、卒業生のMくんが研究室に来訪。メキシコに旅行に行っていたらしく、お土産にメキシコの(スペイン語の)音楽CDを頂く。早速パソコンに取り込んで(今も)聴きながら仕事をしているが、ナイロン弦ギターの音色がとても優しく、心落ち着く音楽だった。ありがとうMくん。


ここから年末にかけて、とても忙しい日々が続きそうな感じがする。それは自分が望んでいることでもあるので、全力を出して、良い形で信念を迎えたいと思う。

***

最近移動中に読んでいる本

『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』

が、とても面白い。今年読んだ本の(個人的)ベスト10に入れちゃいます。他のエージェント(個人、地域、国家、団体など)との関係は、つながり(ネットワーク)の強さや、ネットワーク上の「位置」も重要である。例えばある国家Aにおける政策が他の国家Bに及ぼす影響を考えても、該当する2国間ABの関係だけを見れば良いというわけではない。AとBともつながっているC国を経た影響も考える必要がある。つまり、A→Bという経路だけでなく、A→C→Bの経路も考慮しなければならない。だからB国とC国がつながっているかどうか(またはA国とC国がつながっているかどうか)、さらには、つながりの広がりの中でのA,B,C国の位置を、見落とすことができないものなのだ。当たり前のことだが、見落とされがちな議論である。

2010年11月5日金曜日

1105

朝から会議、午後も会議。

午前中と午後の会議の間にも、ゼミの学生さんが企画書を持って研究室に来てくれたので、目を通す。たった一晩で、随分と洗練されたものに生まれ変わっていた。昨日学生さんにアドバイスしたWEBサイトの技術も、うまく使われている。期待する以上に成果を出してくる僕のゼミ生さんたち。僕の方も、気持ちがワクワクする。

学生さんの成長ぶりを見ていて感じたのは、彼(彼女)らに指導するにあたって、もちろん褒めることも大切であるし、叱ることも大切だと思うのだけど、やはり一番大切なことは、彼(彼女)らの成果を「期待すること」「信じること」だと、強く思った。僕は彼(彼女)らが、もっともっと出来るようになる、と心の底から信じている。そういう僕の気持ちは、たとえ目に見える行動が「叱る」であっても「褒める」であっても、同じように伝わって、その両行為に大した効果の差を生み出さないような気がする。つまり、指導方法にあれこれ頭を悩ませる必要はない、のかもしれない。

***

この週末、プロ野球日本シリーズの決着がつく。僕は(今は)特に応援している球団はないけれど、落合博満は昔から大好きだ(一時期、中日ファンだったこともある)。これは否が応でも、落合博満を応援せざるを得ない(笑)

***

レフェリーレポートの締め切りが迫っている。早く書き上げて、自分の研究も仕上げてしまいたい。夜はまだまだこれから。

2010年11月4日木曜日

1104

講義1コマ、演習1コマ。

夕方の講義が終了後、先週ゼミナール大会に出場した2チームの学生さんたちと研究室で打ち合わせ。
12月に行われる多大学が出場する、より大きな大会出場に向けての企画書作成のために、夜遅くまで作業する。自分のゼミの学生さんのプレゼンテーション能力の高さに、先週驚いたばかりなのだが、企画書作成などの資料作成技術の高さにも、驚いた。とても良い企画書の案を見せてもらった。

もっと企画書の見栄えを良くする為に、学生さんに以下のホームページを参考にするよう、アドバイスした。

伝わるデザイン|研究発表のユニバーサルデザイン

上記のサイトは、僕も頻繁に見させてもらう、とても良いサイトだと思う。書籍化されたら必ず欲しいくらいだ。

結局夜遅くまで学生さんたちは作業をしていたようで、帰りに何人かでお好み焼きを食べに行った。

2010年11月3日水曜日

1103

大学の研究室に来て、丸一日論文の改訂。

約半日をMathematicaで綺麗なグラフを描くのに費やしてしまった。Version Upしてから、グラフィックス関係のコマンドに少し変化があるらしく、前のバージョンのコードが通らない。色々と調べてみると、確かに新しいバージョンの方が合理的なプログラム方法になっているのだけど、あまりこういう変更をしないで欲しいなぁ…。

少し時間の使い方が緩慢になっている気がする。丸一日を研究時間に充てられる日によく見られることだ。改善しなくちゃ。



写真は大学のイルミネーション。

2010年11月2日火曜日

1102

姫路のとある高校まで出張講義。

高校1, 2年生対象だと言うことで、身近な現象から経済学的な思考法を知ってもらおうと思い、3つのなぞなぞを学生さんに投げかける。


『コンビニのアルバイト募集中のチラシにある「昼間と深夜の時給」はどうして違うのか?』

『スーパーマーケットのレジ係は、お金の管理というとても大切な仕事なのに、どうして昨日今日入ったばかりのパートのおばちゃんに任せているのか?』

『どうして「やるぞ」と決めたことがなかなか守れないのか?』


一つ目の謎は価格決定の話に、二つ目の謎は代理人の役割に関するゲーム理論的な話に、三つ目の謎は双曲割引に関する行動経済学の話に結びつけて、経済学の懐の深さをアピールしたつもりだ。

帰りに姫路城でも見て帰ろうかと思っていたけれど、抱えている仕事が未完のままでは気持ちよく観光できないような気がして、結局直帰した。僕の懐はそれほど深くないらしい(笑)

***

ある人から貸してもらった本がとても面白かったので、原著で読みたくなり注文する。(Amazonリンクはアフィリエイトではありません)

"Leadership and Self-Deception: Getting Out of the Box" [Amazon Link]

"The Anatomy of Peace: Resolving the Heart of Conflict" [Amazon Link]

普遍的な、至極当然なことを詳しく詳しく説明するということの効用が、模範的に提示されているようで気持ちが良い。(経済学の本ではありません。)

2010年11月1日月曜日

1101

講義1コマ、演習1コマ。夜は4回生ゼミ生さんと飲み。明日の姫路での高校出張講義の準備。

RSS配信され、未読のままの論文に目を通す。その数120ほど。自分の研究やその他の仕事に追われて、新しい研究のキャッチアップを怠ってはいけないなぁと実感。

iPhoneにしてから、移動中でも仕事が容易にできるようになった。ReederというRSSリーダーのアプリで、Google Readerを読み込ませている。Google Readerには、数多くのジャーナルのforthcoming articleのRSSを登録しているので、いつでも最新の研究の概要をiPhoneで見ることができる。興味のある文献があれば、リンクをevernoteに送っておき、後でDLして、PAPERSで管理する。するとiPhoneでもPCでもiPadでも、PDF形式で全文閲覧できる(論文への書き込みメモも同期される)。

このような便利なツールのおかげで、僕の生産性が高まるのは嬉しいことなのだけど、同時に研究者間の競争は一段とシビアなものになるのだろう。

2010年10月30日土曜日

1030

今日は学内ゼミナール大会当日。僕のゼミも含めて学部横断でたくさんのゼミグループが出場し、研究成果を発表することになった。審査員は、企業家の方や高校の先生など、大学外部から来て頂いた方々。最初に4つのブロックに分け、そこで優勝チームを決め、その後、勝ち抜いた4チームで決勝戦を行う。勝負のプレゼン15分。

嬉しいことに、僕のゼミから出場した2チームはともにブロックを勝ち上がり(これだけでもすごいことなのだが)、決勝戦の結果、1位、2位を独占することになった。本当に嬉しいし、心からおめでとう、と言いたい。(ただ、教員としては、他の先生に申し訳ない様な気持ちも少しはある)。

彼(彼女)らが良い結果をおさめたのは、ひとえに彼らの努力と練習の賜物であると考える。研究内容の水準や緻密さでは、遥かに彼らよりレベルの高いチームも存在していた。しかし、練習量に関しては、おそらく僕のゼミ生より多く練習を行ったチームはいないと思う。予選での発表が終わった直後、結果を聞いた直後の、メンバーの涙が、それを象徴しているのだと思う。

先輩や後輩、U先生のゼミ生、F先生との交流ゼミ、基礎演習での模範プレゼンなどなど、彼らは今日の本番に向けて、何度も報告の機会を持ち、その度にパワーアップしていくのを、僕は目の前で見てきた。さらには、自分達のプレゼンをビデオで撮影し、それを振り返って客観的に見る、というような試みもおこなってきた。内容もプレゼン技術の向上とともに良くなり、今日の決勝戦などは、僕は身体中に鳥肌が立つほどの、とても立派な、堂々とした、そして何よりイキイキした顔をしたプレゼンをしていた。僕は彼らに好き勝手なことを言っていただけで、何も教えてはいない(そもそも僕はプレゼンが得意ではない)にもかかわらず、だ。

彼らの頑張りのおかげで、僕も大いに励まされた。僕がこの職業についてからこれまで、ゼミの教育の方法については、ずっと自信を持つことができず、試行錯誤の繰り返しであったからだ。僕自身が大学生だった頃、ゼミはとても刺激的な場所だった。勉強を思い切りさせてもらえたし、それをアウトプットする場所や機会も、たくさん提供してもらった。夜遅くまで仲間と勉強したり、報告の準備をしたりさせてもらえた。おそらく僕の土台は、そこで築かれたものであると思う。そういう環境を、僕もきちんと学生さんに提供できているのか、正直自信がないまま、ここまでやってきた。だから、今日のゼミ生さん達のイキイキした姿を見て、僕の試行錯誤もあながち間違いではないのかな?と、そう思うことができた。これは、とても励まされることである。

本当に彼らの頑張りに、そしてこういう機会を作ってくれた運営の方々、審査員の方々の尽力に、感謝の気持ちでいっぱいだ。

おめでとう!

2010年10月28日木曜日

1028

講義1コマ、演習1コマ。

一年生向けの基礎演習に、僕の3回生のゼミ生さんを数人迎え、来る30日に開催されるゼミナール大会用のプレゼンを披露してもらった。内容は、行動経済学などでよく取り扱われる「バンドワゴン効果」について、実際に紅茶のテイスティング実験を行いその効果を測定しようと試みる野心的な発表である。

3回生は僕の期待通りの成果を披露してくれたにも拘らず、僕は少し厳しめのコメントを投げかけた。明後日の本番に向けて、さらなる向上を目指して欲しいから、という気持ちからの厳しめのコメントだったのだけど、少し度が過ぎたようだった。結果、以前から予定していた今晩のゼミでの飲み会に、参加せずにプレゼンの準備をすることになった子まで現れることとなった。やっぱり少し、言い過ぎたかな、反省反省。

夜はゼミ生、そして途中から同僚のUさんも合流して飲む。とても楽しい時間を過ごさせてもらった。

2010年10月27日水曜日

1027

講義1コマ、演習1コマ。

2010年12月4日~5日に名古屋大学で開かれる応用地域学会の「環境政策の経済分析」にて、論文 "Firm Incentives for Environmental R&D under Non-cooperative and Cooperative Policies" を報告させてもらうことになっている。今日、そのプログラムがアップデートされていた。この学会には僕は未所属だったのだけど、以前お世話になったある先生からの依頼で、報告をする運びとなった。報告論文は現在改訂中で(…と言いながら、1度ある雑誌にリジェクトされてから、あまりいじっていない…)何とか間に合わせなければいけない。(ちなみに報告論文はこちら(PDF))。気合いが入る。

専門演習の3回生のゼミ生さんの中に、ちらほらとリクルートスーツを着た学生さんを見るようになった。毎年のことだけれど、こうなってくるとゼミの雰囲気が、具体的にはゼミの課題に取り組む学生さんの姿勢が、大きく変わってきてしまう。「就職活動で使うための」ゼミの取り組み、に意識がシフトしてしまうのだ。それはプレゼンやディベートなどを真剣に取り組むようになる、という意味では良い変化だけれども、学問的な研究の話や、それに関係する地道な取り組みを敬遠する傾向を生み出しているように感じる。おそらく、学問的な取り組みの話が、就職活動の面接などでほとんど聞かれない(重要でない)ということを学生さんが多方面から耳にしているからであろう。大学での教育とは、どちらかというと後者に重点を置くべきであると考えているので、ここからのゼミ運営は、学生さんを研究にモティベートする僕の手腕が問われる。

2010年10月26日火曜日

1026

論文の改訂作業、研究費関係の手続き。

夕方、同僚のUさんが彼の2回生のゼミ生を連れて僕の研究室を訪ねてくれた。丁度新しいMacBook Airが届いたばかりでセットアップの最中だったので少し気恥ずかしい思いがした(「あ!またそんなもの買って!」と言われそうな気がして(笑))。お茶も出さずに、しまったことをしたなぁと後で少し後悔する。

***

人と人とのコミュニケーションは、やっぱりスキルではかれるようなものではなくて、相手と、そして自分と、どれだけ向かい合うことができるかという勇気が最も重要な構成要素なのではないかと、ふとそんなことを思う。

2010年10月25日月曜日

1025

講義1コマ、演習1コマ。

どうも調子が乗らない。こういうときには、取り組む研究を変えるのが(僕には)良い。場所を変えて、気分を変えて、少しご無沙汰になっている論文の改訂作業をする。こうやってザッピングするように論文を書くよりも、1つの論文に集中して書き上げて、次、というように進める方が効率的なのでは?と思った時期もあったのだけど、どうやら僕にはこのザッピング方式が合っているようだ。(ただし本当にザッピングだけで終わらないように、気をつけなければならない)。

帰りに美味しいカレーでも食べて、秋の夜長をじっくり研究に勤しみたい。

2010年10月22日金曜日

1022

朝から夕方まで会議。その後、ゼミ生と来週のゼミナール大会の打ち合わせで研究室で面談。

ゼミ生さんたちの成長ぶりに、とても嬉しい気持ちになる。やはり、知識をインプットするという勉強も大切だが、それを表現(アウトプット)する機会やその経験も、とても重要なものなのだなぁと再認識する。「中身もないのに発表(プレゼン)のスキルだけ磨いても仕方がないのでは?」と、ゼミ運営に関しては僕もずいぶん悩んだことがあるのだけど、プレゼンの経験を積むに連れて、「もっとレベルの高い内容のプレゼンがしたい」という、知識習得への欲求も生まれてくる。

彼(彼女)らは、この短期間で目を見張る程、成長している。そういう姿を間近で見ることができるのは、この仕事の大きな喜びの一つだ。


共同研究において、Dropboxでファイルを共有する試みがうまく行きそう。一つのLaTeXファイルを、メールでやりとりすることなく好きな時間にいつでも更新することができるシステムは、画期的だと思う。これから、その機能が最大限発揮され、共同研究がうまく行くことを期待している。


2010年10月21日木曜日

1021

講義1コマ、演習1コマ。

体調は随分良くなってきた。月曜・火曜とおサボりしてしまった仕事を挽回したい。

AppleからMacBook Airの新型が出るということで、早速購入手続きをする。現在使っているPowerBookも随分古くなってきたし、iPadは「読む」&「講義のプレゼン」には大活躍だが、やはり外でもMathematica & LaTeX などを動かしたい。商品到着は来週末になるよう。それまでに取り組んでいる論文一つを、投稿まで漕ぎ着けて、すっきりした形で弟分を迎えたい。

1020

講義1コマ、演習1コマ。

風邪の具合が酷く、朝1限からレッドブル&リポDを流し込んで何とか講義を行う。演習では、現4回生ゼミ生さんが3回生のゼミに来て、「就活座談会」と題し、情報交換やアドバイスをしてもらう。大学新卒の就職環境も、とても厳しいものだが、それは就職した後の人生についても同じこと。常に希望を持って進んで欲しいと願う。

午後は体調が回復してきたので、研究に打ち込む。Hさんとの共同研究の作業と、投稿まであと少し、という自身の論文の改訂を行う。自分の論文が出した結果を、あまりに大袈裟に表現するのも良くないが、あまりに控えめに表現するのも宜しくない。どうもこのあたりは、論文改訂中の自分の心境(心の持ち様)に大きく影響を受けるようだ。夜は情熱的になり、昼間は謙虚になる傾向があるようだ(笑)

2010年10月19日火曜日

1019

風邪で丸一日ダウン。

布団の中で、現在取り組んでいる研究(unpublishなもの)の見直し。中途半端で終わらせているものがたくさんある。これらはどこかの雑誌に掲載されなければ、「最初から無かったに等しい」ということを心に留めておくべきだ。たとえ新しい研究に自分の興味が奪われてしまっていても、やりかけのものを放っておくのは良い選択ではないのかもしれない。不良債権化した研究、とも言える。研究に関する自身のエフォート配分をしっかりやらなくては…って、これものすごく経済学的な問題(笑)

(中途半端な研究に注いだエフォートはサンクしコストだ、とのツッコミが聞こえてくる)

2010年10月18日月曜日

1018

講義1コマ、演習1コマ。

風邪をひいてしまい、講義後は研究室に倒れ込む。なんとかレッドブルを飲んで元気を出して家に帰る。

1017

気付けば今日もこんな時間。

Hさんとの共同研究を進める。以前のバージョンで直感に反する結果が出たのはモデルの構造が良くなかったからであるが、そこを訂正して分析を進めると、ほとんどの結果が妥当(reasonable)であることがわかる。しかしここで「至極妥当な結果(だから面白みがない)」という判断は単に「メカニズムを考え・知り尽くした作者だから」という可能性もある。こういう時には、結果だけをシンプルに第三者に話してみて、意外なのか妥当なのかを聞いてみれば良い。

色々な締め切りが目前に迫って来ている。計画的に仕事をこなしていかなくちゃ。

2010年10月16日土曜日

1016

昨日見つけた僕の研究のモデルの不備が、なんと先行研究の多くでも存在する不備であることがわかった。その先行研究の中には、RAND J. Econ. などの一流雑誌の論文も含まれていた。これを指摘するだけでもペーパーになるような気がする。同様のモデルセッティングを行っているIO系の研究はないか、探してみることにする。

ずいぶんと秋らしい、涼しい気候になってきた。読書の秋などと言われるぐらいだから、秋の夜長はじっくり研究に打ち込みたい。

1015

長く続いた会議、その後はHさんとの共同研究論文に取り組む。

会議では、FD(ファカルティ・デベロップメント)と呼ばれる「教育水準を高めるための組織的な取り組み」の一環として、「ミクロ・マクロ経済学の導入教育」について話し合う。学生さんに要求する数学の水準について、やはり各教員間で差があるよう。僕は個人的に、(学部教育においては)微積分など必要ないような気がしている。どちらかと言えば大切なのは「考え方」の方で、計算が解けるようになることではないからだ。

共同研究を進める中で、どうしても納得がいかない(直感に反する)結果が出てしまい、それがもっとプリミティブなモデル(具体的には生産の限界費用一定・線形需要の2社の同質財クールノー競争)でも、その納得がいかない結果が出てしまい、頭がおかしくなりそうになる。2時間程考えて、原因が判明する。そのおかげでモデルの設定を大きく変更することに決めた。一週間前に逆戻り。それでも研究とはそんなもの。やり直しを恐れていては、何もできない。

2010年10月14日木曜日

1014

講義1コマ、演習1コマ。

ゲーム理論の講義で、学生さんに映画Beautiful Mindのワンシーンを見せ、ナッシュ交渉解の概念とその応用例を少しだけ解説した。そこで、

「AさんとBさんが2人で協力して仕事をすると合計30万円の報酬が得られる仕事が可能である。しかし、協力せず、互いに独立に仕事をするとAさんは10万円の報酬が得られる仕事ができ、Bさんは5万円の報酬が得られる仕事ができるとする。協力する場合、30万円の取り分について話し合う必要があるが、さて、その取り分はAさんにいくら、Bさんにいくらであるべきだろうか?」

というクイズを出す。グループのために協力する、という概念と、自分の分け前を大きくしたい、という概念が混在した面白い問題だ。今日はある学生さんが、その答え(あくまで単純なナッシュ交渉解だが)を、即座にピタリと言い当てた。そしてそうなる理由、についても、ナッシュが考えた公理系に相当するもので、驚いた。


講義の後、Hさんとの共同研究を進める。「一瞬、直感に反するが、よく考えると理解できる」という、とても良い結果が得られる。論文は益々良くなってきているという手応えを感じる。楽しくて、時間を、食事を、水分補給を、忘れてしまう。


(補足)
ちなみに上記の交渉問題の答えは、「Aさんが17万5000円を、Bさんが12万5000円を分け前とする。」が、素朴なナッシュ交渉解です。




2010年10月13日水曜日

1013

講義1コマ、演習1コマ。

午前中に講義を全て終え、午後はHさんとの共同研究論文の執筆。今の段階で得られている主要な結果をまとめ、LaTeXで入力していく。今の段階では「割と面白い」という程度なので、これからさらに拡張を考える。うまくいくかどうかはまだわからないが、作業していて楽しい論文であるように感じる。最近、論文を書くのも読むのも、楽しくて仕方が無い。これは本来、当たり前のことかもしれないが、なかなか心から楽しいと実感できる瞬間はこれまでそう多くなかった。今のとても良い状態の時に、たくさん仕事をこなしてしまおう。

夕方、ゼミ生のN君が研究室に。元気そうな顔を見せてくれて、僕も元気をもらう。逆境を跳ね除けて、頑張って欲しい。

2010年10月12日火曜日

1012

卒業生のM君が研究室来訪。

昨今の若者に対する厳しい労働・雇用環境の中、彼もとても苦労しているという話を聞く。特に、厚生省の緊急雇用対策(こちら)が、あまりよろしくない経営者の行動を引き起こしているという実例に関して、いくつか話を聞いた。

彼には「自分がこれまでやってきた事、自分が身につけてきたスキル」などを、きちんと自分で振り返り、そして認識すること。また、それを他者が理解できるよう説明(プレゼン)する力を身につけてください、とアドバイスをした。

どんなにつらい労働環境の下で働いていたとしても、その仕事に就く前の自分と今の自分との間には、何か必ず「できるようになったこと」「成長したこと」「学んだこと」があるはずで、それは(悲しいかな)他人が教えてくれるようなものではなく、決まって自分で理解して、自分で評価して、そして他人に伝える努力をしなくてはいけない。それが自分を(自分の経験を)大切にするということなのだと僕は思う。だから、定期的に自分の通知簿をupdateするのも良いと思う(職務経歴書を定期的に作り直すようなもの)。数々の苦労から、たくさんの経験を得ている彼だからこそ、できることがある。頑張って欲しい。

___

年末の12月18日(土), 19日(日) と早稲田大学において開かれる国際シンポジウム "GLOPE-II International Symposium Political Economy of Institutions and Expectations II -Perspectives from Economics, Games, and Lab Experiments" にて、
法政大学 寺井先生の論文 Strategic Voting on Environmental Policy Making: The Case for "Political Race to the Top" (joint with Yukihiro Nishimura) の Discussantを務めさせていただくことになった(プログラムはこちら)。

このシンポジウムには、カリフォルニア大学アーバイン校の Amihai Glazer 氏(私は院生の頃から彼の論文を好んで読んでいた)も来られるとあって、とても楽しみなものなのだ。さらに他の国内からの参加者の先生方も、私が尊敬している人達ばかり。このような場で、私がどこまで貢献できるか自信がないが、実りあるシンポジウムにするために尽力したいと思う。今回の寺井先生の論文は、私の直近の公刊論文と関連がある(と伺っている)ので、多くのことを学びとれる機会になれば良いと思う。

論文投稿の際に使用する英文カバーレターの雛形

論文を投稿する際に、カバーレター (coverletter) を添える必要がある場合があります(最近ではオンライン上でそういうものが必要ないケースが多くなってきました)。以下に私がよく使用するテンプレートを掲載しておきます。使用は自己責任でお願いします。また、間違いや改善案などがございましたら、コメントいただければ嬉しく思います。


January 1, 20XX


Prof. DDr. [Editor's name]
Department of **
University of **
[Address]


Dear Dr. [Editor's name]

Please find enclosed [or attached] my manuscript entitled "[Paper's title]" for your consideration on its publication in [Journal's name]. This paper is my original work and is not under review by any journals.

In this paper, we examine ~ [simple explanation for objects, results, and contributions of the paper].

I am looking forward to your reply, hopefully saying this article is accepted in your journal.


Please send any correspondence to:
[your name]
Department of ** , ** university
[Address]
[Email]


Yours, sincerely,



[your signature]




Encl. # of copy of my manuscript and receipt for submission fee [if any]

2010年10月11日月曜日

1011


昨晩深夜に投稿した論文に関して、早速エディターからEメールが届く。

要約すれば、『お前らが送った論文は、うちの雑誌のポリシーに合わないので、同系列の他の雑誌に送ったらどう?』というもの。言葉は柔らかいが、ただのエディターリジェクトなのかもしれないと思うとかなり切ない。しかし、同系列他雑誌に送るなら投稿料は免除するようにしてあげる、というコメントがあったので、そうではないのかもしれない。ここはエディターの言葉を信じて、奨められた雑誌への投稿を考えることにする。何にしても、早くゴールを迎えて、気持ちを新たにこの先の研究分野をLさんとは切り開いていきたい。

ノーベル経済学賞、やっとPeter Diamondが受賞されたよう。僕の大学院時代の指導教官の先生も喜んでおられるだろうかな。

(写真は椎茸狩の場で撮影した蜻蛉)

2010年10月10日日曜日

1010

Lさんとの共同研究をワーキングペーパーとして公開した。

水平的&垂直的な関係にある企業間での戦略的提携の問題を考えている。合併の分析と違って「提携」では、価格(もしくは数量)に関する協力的な意思決定が行われるだけであって、そこで上がった共同利潤を「分け合う」という必要性がある(合併の場合は、文字通り2社が1社になるので、利潤の分配を考察する必要性はない)。協力的な意思決定により上がった結合利潤をNash交渉で分けるとして、この論文は水平的&垂直的関係がある3つの企業間で、どのような提携相手の選択が行われ、そしてそれが市場や社会厚生に及ぼす影響を考えている。

後は投稿準備をして(投稿規定をよく読んで)、送り出すのみ。今日中に仕上げてしまおうと思う。

2010年10月9日土曜日

1009

研究会に参加。その後、以前メールをくれた大学院生のHさんと、僕の研究室で研究打ち合わせ。

研究会には少し遅れてしまったせいで、同じ大学のK先生の報告を一部聞きそびれてしまい、とても残念だった。それでも、僕の好きなタイプの研究だった。頂いた論文をきちんと読んでみたい。K先生には、(失礼にあたるかもしれないと心配しながらも)先生の論文に関連ありそうなAERの論文をお渡しさせて頂いた。


研究会後に大学院生のHさんと、以前頂いたある論文の拡張に関して話し合う。僕の中では進めるべき方向が見え始めているので、もう少し色々試してみて、物になりそうであるなら形にしたいと思う。

研究会の途中に、少し面白そうな研究アイディアを思いつき、急いでメモ書きした。こういうことがあるから、研究会に参加して頭に新鮮な風を吹き込むことは、やっぱり有益なことだなぁと実感する。


2010年10月8日金曜日

1008

昼から夕方まで、果てしなく続く会議。その後、共同研究者のLさんと打ち合わせ。

会議後、Lさんとの共同研究をある雑誌に投稿する前段階として、Working Paperとして公開することにした(たぶん近日中に公開される)。そのための修正と手続きなどなどやっていたら、お昼ご飯を食べることができずに20時を回ってしまった。最近食事をとることを忘れがち。やはりまたソイジョイを箱買いして研究室に置いておいた方がよいのかもしれない。

この論文を投稿し終えたら、溜まっている自分の論文のリバイズもして、早く旅立たせてあげなくちゃいけない。モタモタしている時間はない。

民主主義の程度と環境破壊の関係は逆U字?

___

Buitenzorgy, M., Mol, A.P.J., "Does Democracy Lead to a Better Environment? Deforestation and the Democratic Transition Peak", Environmental and Resource Economics, forthcoming.
___

民主主義の程度と環境破壊との関係を分析した実証論文。民主主義の浸透は環境を改善するという研究や、逆に民主主義が環境悪化をもたらすという両極の研究がある中で、この論文は民主主義と環境破壊(森林破壊を用いる)との関係に逆U字の関係があることを示している。つまり成熟した民主主義と非民主主義制度は環境破壊が少なく、民主主義に移行中の国家において最も環境破壊が多く見られる、という関係である。そして民主主義の程度は、所得よりも環境破壊を説明する説明力があるという。

実証分析の精度に関しては精査していないが、なぜ「非民主制の国家や成熟した民主主義国家よりも、民主制へ移行中の国家において最も環境が破壊される」という結果が得られるのか?の説明は興味が湧いてくる。著者たちの予想は以下のようなものである。

『非民主制の国家では、国家の力が強く、民間(市民)社会は発展していない。このような場合には、"強者である"国家は、"弱者である" 民間市民や企業が環境破壊的な行動をとるのを容易にコントロール(もしくは制限)することができる。しかし民主制へ移行中には、弱まった国家の力に対抗するようなパワーが未だ民間(市民)社会に存在しない。だから環境をコントロールするパワーが不在となる。一方で、より民主化が進むにつれて、民間(市民)社会は弱まった国家の力に対抗するパワー(透明性 (transparency) やメディア, NGO団体や説明責任のメカニズムなど)得るようになるからである。』

___

(2010.10.08 追記)
国民所得と環境汚染との相関については、”環境クズネッツ曲線(Environmental Kuznets curve)”というものが知られている。工業化が進むにつれて所得が増えるが環境汚染が進み、ある程度所得が大きくなると環境への選好が大きくなり環境汚染が改善されるというもの。

この環境クズネッツ曲線に関して、シンプルなmicrofoundationを与えた理論&実証研究として、Andreoni and Levinson (2001) J.Pub.E がある。排出(環境破壊)削減に関する技術的関係から、所得と汚染とのいくつかのパターンを導出できるというもの。(具体的には排出(汚染)削減技術が、汚染財消費水準と汚染削減努力に関してincreasing returnであれば、逆U字の関係が得られるというもの)。

昔この論文を読んだときには、あまりによく出来すぎた仕組みに思えて、その論文の評価を付けがたい気がしていた。しかし今、Google Scholorで見ると、このAndreoni-Levinson論文は 336件の引用があることがわかる。今や定番の解釈となっているのだろうか。

___

(2010.11.12 追記)
環境クズネッツ曲線に関しては、Brock and Taylor (forthcoming in Journal of Economic Growth) の研究も面白い。この研究では、環境クズネッツ曲線が、ソロー成長モデルが密接に関係することを理論・実証的に明らかにしている。簡単に言うと、ソロー型成長モデルで逆U字曲線が簡単に導けるというものである。直感は以下の通り。
収穫逓減より、経済発展初期では急速なoutputの成長が起こり、それに伴い排出が増える(排出削減技術の進歩をoutput growthが上回る)。後に経済が均衡成長経路に近づくにつれて、経済成長は減速し、それを上回るabatement技術の進歩により排出が減る。収穫逓減と技術進歩の相互作用がキーポイントとなる。

同様の理論的直感は、John and Pecchenino (1994: Economic Journal)におけるOLGモデルでも得られていたような記憶があるが、実証までは至っていなかったように記憶している。
___

参考
・Andreoni, J., Levinson, A., (2001) The simple analytics of the environmental Kzunets curve, Journal of Public Economics, 80, 269-286.
・John, A., Pecchenino, R., (1994) An Overlapping Generations Model of Growth and the Environment, Economic Journal, 104, 1393-1410.
・Brock, W.A., Taylor, S., The Green Solow Model, Journal of Economic Growth, forthcoming.

2010年10月7日木曜日

1007

講義1コマ、演習1コマ。

ようやくこの講義スケジュールにも、体が慣れてきた。講義が終わった後にはクタクタになるが、少し休めばすぐに研究の頭に切り替わるようになってきた。

以前研究会で僕が彼の論文の討論者をさせてもらったことでお知り合いになった大学院生のHさんからメールが届く。僕が興味を持っていた理論モデルの拡張をやってみた、ということだった。こちらも勉強になるし、素直に嬉しい。良い結果になるように、僕も努力したい。

2010年10月6日水曜日

1006

講義1コマ、演習1コマ(延長して2コマ)、その後卒業生のH君、3年生のゼミの学生さんと面談。院生のK君と面談


同じ大学のF先生のゼミと僕のゼミで、来る学内ゼミナール大会に向けての予行演習的なものとして、合同ゼミ発表会をおこなった。
やはりゼミの枠内を超えてプレゼンテーションをする機会は、学生さんにとってとても有益なものであると感じる。互いのゼミの教育方針や色は異なるもので、それぞれが相手のゼミの学生さんから良い刺激を受けたように思う。この機会を作って頂いたF先生にも大変感謝する次第である。

僕のゼミの学生さんたちも、この1年程で随分と成長したように思う。プレゼンテーションの能力も、研究内容のアカデミックな提示の方法も、いつの間にかずいぶんと身に付けている。何より、楽しそうに自分たちの研究内容を報告しているその姿勢に、見ている僕も、嬉しくなった。僕のゼミの学生さんの報告レベルが低くてF先生のゼミに迷惑をかけてしまったらどうしようかと、事前に少し心配していたが、その心配はなく、充分に双方が刺激を与え合ったのではないかと思う。若い人は期待すれば期待した分だけ、ちゃんと成長してくれるものだ。
(もちろん、この成果の裏には、合宿中に行った事前の中間報告での「場慣れ」や、そこでU先生に頂いたコメントなどがうまく機能したのだと思う。)

学生さんから、元気をもらったので、今から僕も負けないように自分の研究に取り組むことにする。

2010年10月5日火曜日

1005

論文のリバイズ。まだ最初の投稿でリジェクトをもらっただけの論文なので、次に期待して手直しする。しかし、何度も見ていると正直飽き飽きしてしまって、文章を読むのも(そしてその退屈な文章に)手を加えるのも、気持ちが乗ってこない。それでも、次にアクセプトされることを具体的にイメージして、やる気を高める。

具体的にイメージすることは、特に何かある目的に向かって努力しているときには、僕にとって大切な儀式である。エディターからアクセプトのEメールが届きそのレターを心躍らせながら読むシーン、自分の論文が初めてWeb上に掲載されブラウザで開き見るシーン、自らの業績欄に"forthcoming" 付きで一つ項目を増やすシーン…etc. こういう具体的なシーンを想像して、それに向かってやり遂げる。それだけ。

論文のアイディアが生まれてそれを形にする初期段階は、とても楽しい。しかしその後、それをパブリッシュさせるまでの道のりは、そう平坦ではない。物理的にも精神的にも。だから、こういう作業で、モチベーションを保つ必要がある。少なくとも僕には。

2010年10月4日月曜日

1004

講義1コマ、演習1コマ。その後、学生さんとの面談を終えて、ようやく夕方から研究時間を確保できた。

12月に関東某所で開かれるとある国際シンポジウムに、論文報告の討論者(Discussant)として、お招きを受けた。僕にとっては憧れの存在である経済学者がたくさん集まる機会でもあり、とても光栄に感じる。お誘い頂いた先生方の顔に泥を塗らぬよう、微力ながら貢献できるよう努めたい。(シンポジウムのプログラムがfixし次第、ここでアナウンスさせて頂くかもしれません)

12月は出張が多くなりそうで、今からとてもワクワクしている。恥をかきそうな場面を経験すればするほど、結果的に恥をかかないようになる(逆も真なり)。

価格競争と数量競争の比較:公企業と私企業との(混合)複占市場において

___

Ghosh, A., Mitra, M., "Comparing Bertrand and Cournot in mixed markets", Economics Letters, forthcoming.
___

社会余剰の最大化を目的とする公企業と、自社の利潤最大化を目的とする2企業の複占市場において、ベルトラン(価格競争)均衡とクールノー(数量競争)均衡の比較を行う。

両社ともに私企業である(製品差別化を含む)標準的なベルトランとクールノーの比較では、クールノーよりもベルトランの方が (1) 低い財価格 (2) 低い企業利潤 (3) 高い生産量 (4) 大きな消費者余剰、社会余剰 をもたらすことは有名である。この比較は、例えば非対称(生産)費用を考えると成立しなかったりするのだが、この論文では「公企業の存在」を考えると、上記の結果が成立しないことが明らかにされる。生産費用は対称的、かつ限界費用一定のシンプルなモデルで考えている。


結果は以下の通り。(1) 公企業はベルトランよりクールノーの時の方が低い価格をつける(私企業の方はambiguous) (2) 公企業のアウトプットはクールノーの時の方が大きく、私企業の方はクールノーの時の方が小さい (3) 両企業の利潤はクールノーの時の方が小さい (4) 厚生はベルトランの方が高い、などが得られる。

特に注意が必要な直感は「なぜ公企業がクールノーの場合に、ベルトランよりも低い価格をつけるのか?」であろう。この直感は以下の通り。クールノーの場合に公企業は、私企業の生産水準を所与として、厚生を最大にするべく生産量を決める。私企業がどのような生産量を選んでいたとしても、厚生を最大にする生産量水準を導くには、(公企業製品)価格と限界費用が等しくなるまで生産するのが良い。よって限界費用プライシングとなる。一方、ベルトランの場合、公企業は限界費用プライシングよりも価格を引き上げることで、公企業製品から私企業製品への消費者による代替を促せる。そもそも、私企業製品の過少供給の方が厚生を引き下げる要因としては大きいはずなので、この代替行動が厚生に及ぼす影響はネットでプラスとなる。よって、公企業は限界費用よりも高いプライスをつけることとなる。


例として、線形需要のケースが分析されている。総生産量はクールノーの方が大きく、公企業製品価格もクールノーの方が小さい(私企業製品価格は等しい)。当然、消費者余剰はクールノーの方が大きくなる。しかし、厚生に関しては、やはりベルトランの方が大きくなる(これは標準的結果と等しくなる)。この結果を著者たちはsurprisngと強調している。確かに、不完全市場において、総供給量がクールノーの方が大きく、両財の価格もクールノーの方が低くなるのにも拘らず、厚生が低いのは(逆に)驚きの結果だと言える。これに関しては、あまり説明が出来ていないようにもおもえるが、これは「総生産量はクールノーの方が大きいが、両財の消費量のは、ベルトランの方が小さくなる」という事実と、効用関数の形状(効用関数が両財の消費量の差を嫌う)を組み合わせて完成、となるのだろう。

(ところで2財から効用を得るという効用関数(一般形)の(2財消費量にかんする)交差偏微分が負であるという仮定((∂2U(a, b))/(∂a ∂b) < 0 )が普通になされているのだが、これは良いのだろうか。代替財の(逆)需要曲線の特徴を都合の良いようにするために課されているのだろうが、この分野では一般的なのか、少し戸惑う。)

2010年10月3日日曜日

1003

過去にもらったリジェクトレターを読み返すと、そこに親切にも新しいアイディアが書かれてあった。そのレフェリーからのコメントには、「このアイディアを発展させてやってみたらどう?」とある。僕には素晴らしいアイディアのように思えるのだけど、それをいとも簡単に「やってみたら?」と言えるこのレフェリーは大物に違いない。

2010年10月2日土曜日

1002

仕事が滞りがちにもかかわらず、一週間の疲れからか、随分と長い時間眠ってしまう。もう少し計画的に仕事をこなしていかなくちゃ、と自戒する。

2010年10月1日金曜日

1001

全国的に内定式が行われた10月1日。僕のゼミ生さんたちも、各々気持ちを新たにしていることだろう。10月1日はまた、2010年度の折り返し地点でもある。年度毎に予定を立てている僕にとっては、振り返るのが怖い折り返し地点だ。計画していた通りに研究は進んでいない。下半期はもう少し研究時間の確保のために工夫しなくては、と思う。
___

朝から夕方まで、延々と会議。夕方ようやく解放された後、いくつかの用事をこなし、遅い夕食を取りながらパソコンに向かう。ようやくレフェリーレポート1通を書き上げた。気持ちよくアクセプトの通知を出した。この査読を通じて、僕も色々と勉強させてもらったことは収穫だった。

少し眠いが、今日は調子が良いようなので、これからレッドブル注入して、自分の研究に取りかかるとする。

2010年9月30日木曜日

0930

講義1コマ、演習1コマ。

秋学期の講義がスタートして1週間。体が慣れない所為か、足の怠さや食欲の減退を感じる。このサイクルに体が慣れるのにもう少し時間がかかりそうだ。

半年程前にリジェクト(1回目)された論文が放ったらかしだったので、レフェリーレポートを読み返し、今後のリバイズ計画を立てる。レポートでアドバイスされた改善を施して、次の投稿先を探したいところだが、今の自分は興味が他の論文の方に行ってしまっているので、その改善作業に取りかかる気がなかなか起こらない。ただ、ここで寝かしておいても、ワインのように美味しくなるわけでもない。何とか集中して取り組んで、来月中旬までには仕上げてしまいたい。

役人によるネコババが外部性の問題を効率的に緩和する可能性

___

Infante, D., Smirnova, J., (2009) Rent-seeking under a Weak Institutional Environment, Economics Letters 104, 118-121.

___

Acemoglu-Verdier (2000) のモデルに、weak institutional environment(「脆弱な制度環境」と訳すべき?)を導入したモデル。weak institutional environmentとは政府や役人/官僚組織の管理能力が弱い場合を考慮するという意味である。具体的には、役人が民間企業に対する税や補助金の一部をレントとして確保(ネコババ)してしまう程度のことを指し、その程度を一つの変数として定義し、Acemoglu-Verdierモデルに組み込む。

**

Acemoglu-Verdierモデルを簡単にまとめると以下の通りである。1と基準化された人口のうち、n (<1) の割合が企業家になり,(1-n) の割合が役人となる。企業家のうち、x の割合は c の生産コストがかかる「良い技術(正の外部性を持つ)」を用いて生産を行い,(1-x) の割合は生産コストのかからない「悪い技術」を用いて生産を行う。

政府は企業家の行動(技術の選択)をモニターする為に役人を雇う。役人の賃金は w であるとする。企業家へのモニターはランダムに行われる。モニターされた良い技術の企業は s の補助金を受け取り,モニターされた悪い技術の企業は τ の税金を支払う。政府は、役人を雇い、企業家が良い技術を使った方が悪い技術を使うよりも得になるように s と τ を決め、また政府の予算を満たすように、(役人が企業家に逃げていかないような水準に)役人の賃金 w を決定する。

**

上記のモデルに、「役人が民間企業に対する税や補助金の一部をレントとして確保してしまう程度」を導入することが、この論文の貢献である。簡単なモデル分析の結果から、「役人のレントシーキング活動が増える(つまり、役人が税は補助金から多くをこっそり懐に入れてしまう)ことが、悪い技術の企業家の数を減らし、最適な企業家配置の改善に貢献することがある。また、役人/官僚機構を小さくする効果があり、さらに、社会余剰を改善する場合がある」という定性的結果が得られる。

直感は以下の通り。役人が補助金や税の一部を懐に入れられる程、役人/官僚は税(τ)を増やそうとする。これは悪い技術の企業家を良い技術に転換させ易くする。一方で、(補助金支払い (s) からも官僚はネコババできる設定なので)良い企業家に与えられる補助金も大きくなるので、役人になるよりも企業家になる方がお得になり、役人/官僚機構の割合が減少して、生産が増える。これが厚生を高める、というストーリーだ。

役人のネコババが『補助金を良い企業に届けるときも、悪い企業から税金を集めるときも、同じ割合額だけ可能である』というモデル設定に、結果が大きく依存するような気がしないでもないが、『役人の裁量増加やレントシーキング,または低い質の政府構造が、モニタリング活動を通じて、外部性の問題をより効率的に解決する可能性がある』という結果は、興味深いものである。

(そして何よりも、Acemoglu-Veidier論文のクオリティの高さを痛感する。)
___

参考
Acemoglu, D., Veidier, T., (2000) The choice between market failures and corruption, American Economic Review 90, 194-211.

2010年9月29日水曜日

0929

専門科目の講義1コマ、3年生演習1コマ。

___

演習(ゼミ)では、来るゼミナール大会(大学内の学部横断イベント)に出場するべく、ゼミ生たちはいくつかのチームに分かれて、研究をし、その報告準備をしている。最初はどうなることかと心配していたが、直前になりどのチームもずいぶんと良い仕上がりになってきた。どのチームも、「○○について調べました」的ないわゆる「勉強」ではなく、オリジナルな、かつアカデミックな研究ができそうな気配がする。多くのチームが、行動経済学的なアプローチで実験やアンケートなどを行う予定であり、とても楽しみだ。

___

久しぶりの朝1限からの講義日とあって、夜は疲れて仕事が捗らなかった。体力をつけることも、そろそろ始めていかなくてはならないようだ。

2010年9月28日火曜日

0928

Lさんとの共同研究のタイトルも決まり、校正業者に論文を送った。
___

英文校正にはenagoをよく利用している。
しかし、最近は文法のチェック("a"と"the"の用法など)しか修正が入らず、何だかもったいないような気もしている。

あるところから、EditAvenue.comというサイトを知り、とても安いので利用してみようと思ったが、WordやPPT、TXTフォーマットしか原稿を受け付けないということで断念した。PDFで入稿できないのは、かなり不便だ。

結局、今回もenagoに頼むことにした。22ページ原稿で5万円弱也(もしword formatで論文を書いていたら、EditAvenue.comに頼めば2万円弱でいけたようだ。しかしQualityについては、わからない) 。コストはかかるが、この論文に費やしてきた時間や労力(しかも2人分)を考えると、惜しんではいられない。
___

校正業者から論文が返って来たら、リバイズしてすぐに投稿する。次はアクセプトされると信じて。

国際的なテロリストへの対策を各国の民主的なプロセスに委ねると…

___

Siqueira, K., Sandler, T., (2007) Terrorist backlash, terrorism mitigation, and policy delegation, Journal of Public Economics 91, 1800-1815.
___

2つの国家が、同一の国際的なテロリストから攻撃されるかもしれないという脅威に晒されているとする。各国家は、自発的に対策を講じることができる。この対策は (1) 両国に公共財的性質があり、2国の対策費用の合計が、あるテロリストグループAからの共通の脅威を減らすことになり、しかし、(2) 相対的に対策費用の高い国は、それが低い国よりも、別の(攻撃的な)テロリストグループBからターゲットとして狙われやすくなるという効果があるとする。

このように、テロリストへの対策に戦略的相互依存関係のある2国ゲームにおいて、Besley-Coate流のRepresentative Democracyのフレームワークを援用して、「民主的な政治過程を通じると、(テロへの姿勢について)どのような性質をもつ政治家が選択されるのか」を考えている。

具体的には、1st stageにおいて、各国において政策策定者がmajority votingで選ばれ(戦略的委任)、2nd stageにおいて、1st stageで選ばれた政策策定者が自国のテロ対策規模を決め、3rd stageにおいて、テロリストグループが行動を決定するというモデルとなる。

結果として、各国内での民主的な政治家選択が、より軟弱なテロ対策への姿勢を助長してしまい、テロの攻撃を増加させてしまうという、両国の厚生にとって良くない結果をもたらすというもの。国際的なコーディネーションが必要である理由付けになる。

肝になるのは、2nd stageでの戦略変数の戦略敵関係である。これが戦略的代替関係にあれば、1st stageにおいて、より少ないテロ対策をコミットするべく弱腰な政治家を選択しようとしてしまうのである。これは、テロ対策費が公共財的な性質を持つことの「ただ乗り」効果と、(他国よりも)目立った抵抗をすることで「報復されるのを恐れる」効果が作用して、戦略的代替関係が得られるのである。また、テロ対策費用の拠出が、二つのテロリストグループの反応を引き起こすというモデル設定と現実のテロ事件や団体と関連させるという手法も見事だと思う。


この手のRepresentative Democracyの応用モデルは、Beslay-Coate (2003) に始まり、環境経済学の中では Siqueira (2003), Buchholz et al. (2005), Roelfsema (2007), (手前味噌で申し訳ないが)Hattori (2010) などでよく見られるものである。
(より広い意味での戦略的委任のパイオニアは、おそらくFershtman and Judd (1987; AER)であろう)


防衛の分野でも公共財供給の分野でも第一人者のSandlerらしい、明解で政策的意義のある良い論文である。

___

参考
Besley, T., Coate, S., (1997) An economic model of representative democracy, Quarterly Journal of Economics 112, 85–114.
Buchholz, W., Haupt, A., Peters, W., (2005) International environmental agreements and strategic voting, Scandinavian
Journal of Economics
107, 175–195.

Fershtman, C., Judd, K.L., (1987) Equilibrium incentives in oligopoly, American Economic Review 77, 927–940.
Hattori, K., (2010) Strategic voting for noncooperative environmental policies in open economies, Environmental and Resource Economics 46, 459-474.
Roelfsema, H., (2007) Strategic delegation of environmental policy making, Journal of Environmental Economics and Management 53, 270–275.
Siqueira, K., (2003) International externalities, strategic interaction, and domestic politics, Journal of Environmental Economics and Management 45, 674–691.


最低品質規制(MQS)と共謀

___

Ecchia, G., Lambertini, L., (1997) Minimum Quality Standards and Collusion, Journal of Industrial Economics 45, 101-113.
___

垂直的差別化財の複占価格競争モデルにおいて、最低品質規制(Minimum Qulity Standard: MQS)の効果を考える。従来のMQSは低品質財生産企業(LowQ firm)の品質を外生的に引き上げた時の高品質財生産企業(HighQ firm)の反応、および価格競争に及ぼす影響を考察していたのだが、ここでは内生的なMQS水準の決定がなされる。内生的なMQSがある場合、それがない場合と比較して、両社の品質が向上し,LowQ firmは利益増,HighQ firmが利益減となるという(逆説的な)結果が得られる。また、MQSの導入によって、両社の価格カルテル(Price Collusion)の形成されやすさにどのように影響するかを分析している(Collusionを維持するためのcriticalな割引因子にMQSがどのような影響を及ぼすかを考察することでそれを得ている)。結果としてMQSの導入は、カルテルを維持困難なものにするという結果が得られる。

この研究以前の垂直的差別化財の複占モデルでは、LowQ frimの財の品質レベルを外生的に引き上げた場合の均衡分析を行っていることを考えると、この研究の意義は大きいと言える。具体的には、内生的なMQS水準の決定は、LowQ firmの選択をないものとして、代わりに政府が社会厚生を最大にするべくLowQ goodsの水準を決めるという形でモデル化される(つまり、HighQ firmと政府とのQuality choiceの同時決定という形)。政府が決めるLowQ水準は LowQ firmが設定するよりも高く、それゆえにHighQ firmの品質もMQSがない時より高くなる(元々Quality choiceが戦略的補完なので)。

注意するべきは、Full market coverageの仮定を使っていることである。これを使えば、計算が容易で,こういった内生的なMQSを考えてもclosed formで割ときれいな解が出る。よって、まだ応用範囲がありそうな気がする。

(ただし、この手の分析で、安易にFull market coverageを仮定するのは危険な場合がある。代表的なのは Maxwell (1998) に対するBacchiega et al. (2010) の指摘(「Maxwell (1998) の結果は自らが仮定した full market coverageの仮定に矛盾する」)である。過去の記事を参照。)

___

参考
Maxwell, J.W., (1998) Minimum Quality Standards as a Barrier to Innovation, Economics Letters 58, 355-360.
Bacchiega, E., Lambertini, L., Mantovani, A., (2010) On MQS Regulation, Innovation and Market Coverage, Economics Letters 108, 26-27.

2010年9月27日月曜日

0927

今日から秋学期の講義が始まった。初日は講義1コマ、演習1コマ。講義ではガイダンスを行った。iPadでのスライド投影はうまくいきそうだ。

演習では久しぶりに会う学生さんたちの顔を見て、元気をもらった。今年は就職戦線も厳しく、学生さんたちもずいぶん苦労をしている。僕も彼らを応援する一方で、彼らに負けないように、研究や教育に努力しなければならない。

早めに帰宅して、Lさんとの共同研究のリバイズ。あと少し、もう少し。

2010年9月26日日曜日

0926

明日から始まる秋学期の講義準備。

全ての講義をiPadでスライド投影して行なう準備が何とか出来た。本来ならホワイトボードや黒板に直接書いて説明するような部分も、手描きのアプリでスライド投影して行うことで、板書ファイルを保存・配布することも可能であるし、UNDO & REDO が自由にできるのは大きな利点である。

秋学期は担当コマ数が多く、多忙になりそうだが、研究面でも同時進行でいくつかのプロジェクトを進めていきたいと思う。

2010年9月25日土曜日

0925

共同研究をさせてもらっているH先生が論文報告をされる研究会に参加しようと思っていたのだが、体調が悪く参加できなかった。自宅で秋学期の講義準備と、単独で進めている公共財の私的供給に関する論文の執筆、及び参考文献の読解を進める。

参考文献を読んでいる中で、その著者の先生のホームページを調べて訪れてみると、僕が少し前に書いた論文と関連が深そうなタイトルの論文を、その著者の先生が執筆中だという情報が目に飛び込んだ。

是非とも論文を拝見したいという気持ちから、失礼にあたるかもしれないと思いながらも、その先生に(自分の拙い論文を添付して)メールをお送りさせて頂いた。

驚くことに、直ぐに温かい返信を頂き、さらにはとても魅力的なカンファレンスの情報も教えて頂いた。とても嬉しい出来事だった(僕の論文の存在もご存知だったことも、とても嬉しかった)。


2010年9月24日金曜日

0924

会議とLさんとの研究打ち合わせ。

論文のタイトルやイントロの説明など、曖昧な説明や用語などを、厳密で分かりやすいものに変えて行く。次の投稿先の選定も絞れてきた。今月中には投稿に漕ぎ着けて、彼と同時進行しているもう一つの論文のリバイスに取りかかりたい。

その後、Hさんとの共同研究に取りかかる。水平的・垂直的に差別化された財の不完全競争市場において、財の品質に関するmisinformationを考えるものである。いくつか興味深い結果が既に得られている。先が楽しみな論文だ。

2010年9月23日木曜日

0923

L先生との共同研究のリバイズと、レフェリーレポートの作成を行う。

共同研究の内容が、丁度査読している論文と関連性があるので、良い言い回しやReferenceなど、学ぶ事の多い査読業務のような気がする。共同研究の方は、もう何度もリジェクトされているものなのだが、リジェクトされる度にレポートから学び、より良い論文になってきたように思う。投稿先のランクを下げるより、むしろ上げたい気持ちだ(笑)

あと少しで秋学期講義がスタートする。秋学期は担当コマ数が多い(週7コマ)ので、研究に集中する時間を取るのが大変になりそうだ。

虚偽広告によるガセネタへの規制は必要か?

___

Glaeser, E.L., Ujhelyi, G., (2010) Regulating Misinformation, Journal of Public Economics 94, 247-257.
___

同質 N 企業の Cournot 競争モデルで、消費者が企業発の misinformation(ガセネタ)に騙されて財の健康コストを過少に評価(誤解)してしまうモデルを考える。誤解は財の需要曲線が外側に動くように仮定され、それ により消費者は過剰に消費するが、消費後に真のコストを認識して不効用を被るという設定。寡占(または独占)下では、財の過少消費が存在するので、この消費者の誤解が財の過少消費を和らげる効果があり、それによって得られた企業利潤が社会厚生の一部ならば、最適な誤解水準を見いだせる(つまり、消費者の誤解が厚生を高める場合がある)。

消費者を誤解させるための虚偽広告(宣伝)行動は、全企業にとって公共財的性質があることから、独占企業であるなら過剰な虚偽広告がなされ、企業数が多くなると、過少な虚偽広告水準となる可能性が指摘される。 さらに、政府による「打ち消し(訂正)広告」の効果や虚偽広告への課税、物品税などの影響を考察。最後に、企業が財の品質向上投資を行える場合の分析も行われる。

___

一般的には、例えば薬品の健康被害について、消費者が製品の品質を誤解して消費する場合、事後的な消費者の効用を損なうことから政府はそのような誤解を招くような企業の広告活動を規制する方が良いと思われがちだが、不完全競争市場では必ずしもそういう規制が望ましくないことが示される。この直感をうまくモデル化している。Glaeserらしく、抽象化するところは大胆に行い、政策的含意が導き易いsimplestなモデルを構築している。「寡占構造の過少消費と、誤解による過剰消費との対比」、そして「誤解を生み出すための投資が(同質的な)企業にとって公共財である」こと、この2点だけで多くの結果を生み出している。現実の実例も豊富で説得的である。

情報の非対称性を扱ってはいるが、消費者の信念や情報のupdateなど、複雑な要素は全く取り込まずに、あくまで「シンプルなモデルでどこまで政策含意が引き出されるか?」に意識があるように感じる。このような姿勢はぜひとも見習いたい。

学部生でも理解できる、ということは、レベルが低いのではなく、逆に高いのだ。

___

(追記)A Fine Theorem にも、この論文のレビューがあった。リンク先はこちら

2010年9月22日水曜日

0921-0922: ゼミ合宿

21日-22日と1泊2日のゼミ合宿に行ってきた。


2012年度から僕は在外研究期間に入るために、今年は僕の2年生のゼミ生がいない(卒業まで見てやれないので募集しなかった)。だから僕の3年生、そして4年生、そして今年から僕の大学に赴任して来られたUさんの2年ゼミ生さんなどなど、と一緒に、合宿に行った。

今回の合同ゼミでの合宿は、初めてゼミを担当するUさんのゼミ運営の助けになるかもしれないと、僕から(おせっかいにも?)お誘いしたことから企画が始まった。しかし実際にアクティビティや旅行行程を企画するのは、僕のゼミの3回生の合宿委員の学生さんたち。面識のない先生と、面識のない後輩学生が多く参加するということもあって、計画段階から大きな気苦労をかけてしまうことになった。そのストレスも旅行前にはピークとなり、旅行前日に心配で全く眠れなかった合宿委員の子もいたという。僕も少し、お手伝いするべきだったかもしれない。それでも、合宿委員の学生さんたちの底力を信じて、口を出したいところもグッと我慢して、なるべく学生主体の企画運営になるように、見守ることにしたのは大正解だったかもしれない。右も左もわからない2回生の学生さんをうまく取り込んで、自分たちが楽しむことも時には我慢をしながら(委員は花火にも参加せず、その間宴会場のセッティングなどを行っていた)、とても良い旅行をプロデュースしてくれた。

参加した4回生のゼミ生さんの中には、この就職氷河期の中で未だ奮闘中の学生さんも含まれていた。そんな中でも、ゼミのイベントに快く参加をしてくれて、さらには後輩に自分の経験やアドバイスを素直に語ってくれたことが、僕はとても嬉しかった。僕は彼(彼女)らに対して、試行錯誤の連続で大した教育を提供できてはいないのにも拘らず、彼らは出会った頃よりもずいぶんと成長したように思う。それを見る事ができて、否、見せてもらえて、僕はとても感謝している。

1日目は学生さん同士の親交を深めるアクティビティを行い、2日目にはゼミ発表会に出場候補チームのプレゼンテーションの経過報告などを行った。楽しい旅行としても、教育的な研修と場としても、どちらで測ってもとても良い合宿となったように思う。

(1日目夜の宴会では、ここ数年で最高級に笑わせてもらった。まだ残像が…(笑))

2010年9月20日月曜日

0920

お墓参りなどの後、自宅に帰り秋学期の講義準備と、依頼されているレフェリーの審査論文に目を通す。

レフェリー対象の論文は2nd round(つまりreviseされて再投稿されたもの)である。ずいぶんと良くなっている。
著者たちは一日千秋の思いでいるだろうから、なるべく早くレポートを返送してあげたい。

秋学期から、全ての講義をiPadを使ったプレゼンテーションでするための準備に取りかかる。
これまでも、Keynoteを使ったスライドを使っていたので、iPadのKeynoteでうまく出来そうだが、フォント(私はメイリオが好きだがiPadには入っていない)の問題で、少し修正が必要かもしれない。

2010年9月19日日曜日

0919

日本経済学会秋季大会(於 関西学院大学)に参加した。

昼に共同研究をさせてもらっているH先生と研究打ち合わせ(ある意味こちらが今回の学会参加の最大の成果だった)。ある一つのテーマに対して,互いにモデルを構築して持ち寄り,それがともになかなか面白いものになりそうで、二つとも並行して研究を進めることを確認した。H先生はとても洞察力のある方で、大変勉強させて頂いた。

来年度の春・秋の日経学会で報告できるように,研究を進めて行きたい。

___

本日から、こちらのWeblogに業務日誌を移転することにしました。旧サイトは閉鎖いたしました。

2010年8月26日木曜日

投入財価格が交渉によって決まるとき、競争緩和が社会に有益?

___

Symeonidis, G., (2008) Downstream competition, bargaining, and welfare. Journal of Economics and Management Strategy 17, 247-270.
___

製品差別化された財を数量競争する寡占産業において、それぞれの企業が生産のinput価格(賃金や中間財仕入れ価格)を上流組織(労組や中間財生産企業)とNash交渉によって決めるような状況を考える。このとき、寡占的産業の競争の程度や、交渉力の配分が、企業の利潤、上流組織の利得、消費者余剰、そして社会余剰にどのような影響を及ぼすのかを考察している。

理論分析の結果は、競争にかんする我々の伝統的な見方(競争が社会を豊かにする)を覆すものとなる。つまり、状況次第では、競争の程度の低さが社会を豊かにする場合があるというものだ。

直感は以下の通り。まず、寡占産業の競争緩和(後述)は、交渉によって決まるinput価格を低下させる。これは競争緩和により、input価格の増加が自企業利潤に及ぼす負の影響を大きくすること、そして、上流組織側も高いinput価格を提示したくなくなることによる。これにより、競争の緩和が消費者余剰に及ぼす効果が理解できる。競争緩和はダイレクトに消費者余剰を小さくするマイナスの効果と、input価格の低下によるプラスの効果の大小関係で決まる。もし、上流組織にある程度の交渉力があるならば(そして製品差別化の程度が弱いならば)、後者が前者をdominateし、晴れて逆説的命題が成立する。

驚くべきことに、input価格が二部料金制である(下流から上流への固定の移転も含む)ならば、この逆説的命題がより緩い条件で(論文の仮定の範囲ではsurelyに)成立することが示される。

___

様々な仮定がこの論文の大きな制約となっているのは間違いないが、とても面白い結果である。しかし私が最も興味深く感じたのは、「(2社の)複占市場での競争の程度」をある連続変数(λ)」で表すような定式化の方法である。

具体的には、複占企業iの最大化すべき利潤の定義を、

Πi = πi + λ πj,

where

πi = (Pi - wi) xi & λ ∈ [0, 1]

(Pi: 財価格、wi: input価格、xi: 生産量)
というような、あたかも複占企業が利他的な利潤関数を持つような定式化をしているところである。λ=0 はクールノー競争を、λ=1 は結合利潤最大化、つまり共謀の状況を表現していることになる(実現する企業の利潤は飽くまで πi である)。競争の程度(緩さ)を表す変数 λ は、"coefficient of cooperation" by Cyert and deGroot (1973, AER) などと呼ばれ、寡占モデルでは良く使用される(らしい)。

この手の目的関数のモデル化は、個人の利他性を進化的アプローチで分析する一連の研究にもよく使われる。具体的には、個人iの効用が、

Vi = ui + λ uj

であるとして、意思決定(最大化)の際には Vi を最大化するよう行動を決め、その個体の利得(物質的効用、などと呼ばれる)は、ui で測る、という具合にである。

少し話はズレたが、この定式化は応用範囲の広い優れたものであることを頭に置いておきたい。

___

(補足 2010.08.31)

Matsumura-Matsusima-Cato (2009) では、企業の目的関数を

Ui = πi - α πj

と定式化している。この設定では、α = 0 で通常のCournot競争を、α = -1 でmonopolyを、α = 1 で完全競争(Bertrand)を扱うことができる。このような relative performance approach により、competitiveness(競争程度)を連続変数として扱えるだけでなく、Cournot, Bertrand, Monopolyをその特殊ケースとして内包するモデルとなるというメリットがある。

2010年8月13日金曜日

やる気を起こすちょっとした言葉集

ネットで見つけた「やる気を起こすちょっとした言葉」集
  1. すぐ後ろに殺し屋が立っていて、自分の頭に銃を突きつけながら「これでもやらないつもりかい?」と言っているところを想像する。
  2. あいつだったらどうするかな…
  3. ちょっとやって、それからやめてもいい。
  4. 次の物理的な(小さな)アクションは何だ?
  5. 今やらなかったらいつやる?
  6. やらないメリットは何?

参照:http://bit.ly/MrFRZ and http://bit.ly/barGWN

2010年8月12日木曜日

英文ライティングTIPS

自然な英語論文を書くための3つのTIPS
  1. Googleを使ったライティング
    英文ライティングにはgoogleのフレーズ検索が便利。検索したい一連の語を " " で挟んで検索する。使われる頻度(ヒット数)で適切さを判断する。また、ワイルドカード検索も、かなり使える。適切な前置詞、形容詞、動詞などがわからない時、わからない部分を * (sp アステリスク sp)として検索。
    また、これらの検索ワードと一緒に economics も同時に検索すると、「経済学において」どのような語句が妥当かがわかる。journal と一緒に検索するのも良い。

  2. パソコンの検索ツール(例:spotlight [mac])などで、フォルダ検索
    自分のパソコン内の論文pdfwが保管されているフォルダ限定で、テキスト検索する。その使用法のために、特に興味のない論文も「辞書用フォルダ」に入れておいても良いかもしれない。

  3. Springerの exemplar: words in context を使用
    SubjectやJournalベースでフレーズを検索できる。Googleよりもアカデミックなもの「だけ」を抽出できるが、まだβ版であり、これからの検索機能強化に期待。

2010年7月28日水曜日

影響力への憧れ

___

Dur, R., Glazer, A., (2008) The Desire for Impact, Journal of Economic Psychology 29, 285-300.
___

労働者は賃金だけでなく「自らの影響力(impact)」に対して選好を持つことがある。実際、「影響力のある人間になりたいです」というような言葉は、大学生や社会人の口から、しばしば発せられるものである。この論文では、労働者が「影響力への欲求」を持つ場合に、それが労働市場における様々な現象にどのような影響を及ぼすか、また、それが様々な現象を説明しうることを示している。

「影響力からの効用」は以下の様に定式化される。各労働者は「自らが会社を辞めた場合に、社会から生産量がどれぐらい減少するか」を「自らが雇われていることの影響力」として考える。しかしながら、労働市場の状況(または失業者の数や、失業者と企業とのマッチングの容易さなど)によって、ある労働者が辞めたとしても、企業が直ちにその代わりを見つけることができる場合とできない場合がある。見つけることができる場合には、雇われている労働者の「影響力」は当然小さくなるし、逆なら大きくなる。

このような設定で、不況下において賃金がなかなか下がらない(wage stickiness)理由や、その他労働者への企業特化した専門技術習得への投資にかんするhold-up問題などを考察している。

___

この設定でのキーポイントは、労働者は自らの影響力が大きいと感じるならばその分だけ安い賃金でも労働供給する(逆もまた成立)というものである。そしてこの影響力が、労働市場や雇用環境、技術の差異などによって影響を受けるというものである。効用関数にかんする小さな拡張から、様々な経済現象の解明まで持って行く技術は、見習いたいもの。

しかし、このような設定の「影響力」を、本当に労働者が求めている「影響力」なのかは、疑問が残る。「影響力の効用があるから、賃金が低くても働く」「影響力がないような仕事なら、高い賃金でないと働きたくない」と言葉にしてみると、少し奇妙な感じがする。おそらく人は、「高い賃金をもらったという実感」から、「自らの影響力がどの程度か」を推測するものであるように思うからだ。

2010年7月26日月曜日

行政区域をまたがるチャリティーとクラウディング・アウト

___

Lee, K. (2008) Voluntary Contributions and Local Public Goods in a Federation, Journal of Urban Economics, 63, 163-176.
___

しばしば低所得者への補助などのチャリティーが、行政区域(地域)をまたがる大きなチャリティー団体によってなされることがある。ここに2つの行政区域(地方政府)があり、各地域の住民が自発的にチャリティー団体に寄付をするシチュエーションを考える。あつまった寄付は、「ある一定の割合(ルール)」で、2地域の低所得者に分配されるとする。また、各地方政府は、その地域住民から税を取り、自地域の低所得者への支援に使っている。各住民は、自分の地域の低所得者の厚生からも、他地域の低所得者の厚生からも、自らの効用として(公共財効用として)効用を感じる。

もし、地域が一つしかなければ、これは伝統的なvoluntary provision of public goodsとなる。なので、地方政府の1単位の政府支出増加(低所得者への支援増)は、one-to-oneのcharitable givingの減少をもたらすことになる。しかし、ここでは、2つの地域があり、ある地域で集まったcharitable givingが他地域へも流れることになるというリンクから、このone-to-one crowding outは成立しなくなる。
___

当然と言えば当然の結果。地方政府の公共財供給増加(低所得者への援助増加)は100%自地域住民によってファイナンスされるが、その分だけ自地域住民がcharitable givingを減少させても、チャリティーを通じての公共財減少は「ある一定の割合」しかないからである。よって、政府支出の増加は、自地域の公共財水準を増加させ、他地域の公共財水準を減少させる。至極当然。

このpaperは重要な側面、つまり、チャリティー団体の意思決定(目的)を考慮に入れていない。つまり、チャリティー団体の分配ルール(論文中の θ )が外生変数であるのだ。もし、チャリティー団体の意思決定を考慮するなら、政府支出の増加により、分配ルールを変更するのが目的にかなうかもしれない(例えば ¥max_{¥theta} z_1+z_2 とか、¥max_{¥theta} ¥min[z_1, z_2] とか)。この点を考慮すると、Federation Linkを考慮しても、理論的には100% crowding-out theoremは成立する可能性がある。

2010年7月7日水曜日

垂直的製品差別化とマーケット・カバレッジ

___

Bacchiega et al. (2010) On MQS Regulation, Innovation and Market Coverage, Economics Letters, 108, 26-27.
___

Ronnen (1991) RAND 流のvertically differentiated duopoly modelにおいて,Minimum Quality Standard (MQS)がinnovationや厚生に及ぼす影響を分析した Maxwell (1998) Economics Letters の誤りを指摘した超short paper。

このタイプの分析をするときには、market coverageがfullになるのかpartialになるのかをしっかり見極めなきゃいけない。

2010年3月23日火曜日

多数決投票・行政区域の合併・公共財供給

___

Dur, R., Staal, K., (2008) Local Public Good Provision, Municipal Consolidation, and National Transfers, Regional Science and Urban Economics, 38, 160-173.
___

それぞれ独自にlocal public goodsを供給している隣接する2つの自治体(cityとvillage)があるとする。公共財には正の外部性があるために、独立的な意思決定ではunderprovision problemが起こるはず。cityとvillageは人口のみが異なる(cityの人口が多い)。

この論文では、そのようなcityとvillageとの合併問題を考える。特徴的なのは以下の点:
合併すると、majority votingにより、人口の多いcityの意見が通る。具体的には、合併した場合には、cityの代表がcity, villageの公共財供給量と、両地域共通の税負担を「city住民の効用を最大化するべく」決定する(とても簡単なpolitical economy modelの表現だ)。


結果として:

  1. 自治(独立)の状態では、公共財は過少供給
  2. 合併はvillageの過少供給問題を解決しない(より悪くなるケースも)が、cityにおいてはoverprovisionとなる。
  3. cityは常に合併をwelcomeだが、villageでは社会厚生の観点から過少な合併へのインセンティブしか持たないことがある。
  4. 用途特定型(earmarked)transfer from national governmentは、公共財の過少供給を和らげるが、合併のインセンティブを変化させない。
  5. lump-sum transferは、villageの合併へのインセンティブに影響を与える。具体的には、city と villageに同じ総額の税を課すことで、人口の小さなvillageが人口の大きなcityと合併してその負担をshareするインセンティブをつくりだすことで、合併へのincentiveを生み出すことができる。
  6. 拡張として、合併後にcityとvillageとのtax discriminationが出来るケースと、それに加えて、villageが合併からの逸脱(secession)が可能なケースも分析。後者では、socially optimal allocationが実現する。これは特に面白い。


[メモ]
モデルがシンプルで、分析の進め方もとても良い。分析のvarietyも豊富で、結果もクリアである。なぜこのような論文がもっとランクの高い雑誌に載らなかったのだろうか、と疑問を持つ程。拡張の余地はあるが、それほど大きな仕事は残されていないよう。それよりも、この分析の方向性と枠組みを、他のトピックスで使う方が賢明(例えば人口の違いでpolitical econと簡単にリンクできるところなど)。また、english writing skillの向上のためにも、この論文の表現の簡潔性は役にたつかもしれない。