2010年10月30日土曜日

1030

今日は学内ゼミナール大会当日。僕のゼミも含めて学部横断でたくさんのゼミグループが出場し、研究成果を発表することになった。審査員は、企業家の方や高校の先生など、大学外部から来て頂いた方々。最初に4つのブロックに分け、そこで優勝チームを決め、その後、勝ち抜いた4チームで決勝戦を行う。勝負のプレゼン15分。

嬉しいことに、僕のゼミから出場した2チームはともにブロックを勝ち上がり(これだけでもすごいことなのだが)、決勝戦の結果、1位、2位を独占することになった。本当に嬉しいし、心からおめでとう、と言いたい。(ただ、教員としては、他の先生に申し訳ない様な気持ちも少しはある)。

彼(彼女)らが良い結果をおさめたのは、ひとえに彼らの努力と練習の賜物であると考える。研究内容の水準や緻密さでは、遥かに彼らよりレベルの高いチームも存在していた。しかし、練習量に関しては、おそらく僕のゼミ生より多く練習を行ったチームはいないと思う。予選での発表が終わった直後、結果を聞いた直後の、メンバーの涙が、それを象徴しているのだと思う。

先輩や後輩、U先生のゼミ生、F先生との交流ゼミ、基礎演習での模範プレゼンなどなど、彼らは今日の本番に向けて、何度も報告の機会を持ち、その度にパワーアップしていくのを、僕は目の前で見てきた。さらには、自分達のプレゼンをビデオで撮影し、それを振り返って客観的に見る、というような試みもおこなってきた。内容もプレゼン技術の向上とともに良くなり、今日の決勝戦などは、僕は身体中に鳥肌が立つほどの、とても立派な、堂々とした、そして何よりイキイキした顔をしたプレゼンをしていた。僕は彼らに好き勝手なことを言っていただけで、何も教えてはいない(そもそも僕はプレゼンが得意ではない)にもかかわらず、だ。

彼らの頑張りのおかげで、僕も大いに励まされた。僕がこの職業についてからこれまで、ゼミの教育の方法については、ずっと自信を持つことができず、試行錯誤の繰り返しであったからだ。僕自身が大学生だった頃、ゼミはとても刺激的な場所だった。勉強を思い切りさせてもらえたし、それをアウトプットする場所や機会も、たくさん提供してもらった。夜遅くまで仲間と勉強したり、報告の準備をしたりさせてもらえた。おそらく僕の土台は、そこで築かれたものであると思う。そういう環境を、僕もきちんと学生さんに提供できているのか、正直自信がないまま、ここまでやってきた。だから、今日のゼミ生さん達のイキイキした姿を見て、僕の試行錯誤もあながち間違いではないのかな?と、そう思うことができた。これは、とても励まされることである。

本当に彼らの頑張りに、そしてこういう機会を作ってくれた運営の方々、審査員の方々の尽力に、感謝の気持ちでいっぱいだ。

おめでとう!

2010年10月28日木曜日

1028

講義1コマ、演習1コマ。

一年生向けの基礎演習に、僕の3回生のゼミ生さんを数人迎え、来る30日に開催されるゼミナール大会用のプレゼンを披露してもらった。内容は、行動経済学などでよく取り扱われる「バンドワゴン効果」について、実際に紅茶のテイスティング実験を行いその効果を測定しようと試みる野心的な発表である。

3回生は僕の期待通りの成果を披露してくれたにも拘らず、僕は少し厳しめのコメントを投げかけた。明後日の本番に向けて、さらなる向上を目指して欲しいから、という気持ちからの厳しめのコメントだったのだけど、少し度が過ぎたようだった。結果、以前から予定していた今晩のゼミでの飲み会に、参加せずにプレゼンの準備をすることになった子まで現れることとなった。やっぱり少し、言い過ぎたかな、反省反省。

夜はゼミ生、そして途中から同僚のUさんも合流して飲む。とても楽しい時間を過ごさせてもらった。

2010年10月27日水曜日

1027

講義1コマ、演習1コマ。

2010年12月4日~5日に名古屋大学で開かれる応用地域学会の「環境政策の経済分析」にて、論文 "Firm Incentives for Environmental R&D under Non-cooperative and Cooperative Policies" を報告させてもらうことになっている。今日、そのプログラムがアップデートされていた。この学会には僕は未所属だったのだけど、以前お世話になったある先生からの依頼で、報告をする運びとなった。報告論文は現在改訂中で(…と言いながら、1度ある雑誌にリジェクトされてから、あまりいじっていない…)何とか間に合わせなければいけない。(ちなみに報告論文はこちら(PDF))。気合いが入る。

専門演習の3回生のゼミ生さんの中に、ちらほらとリクルートスーツを着た学生さんを見るようになった。毎年のことだけれど、こうなってくるとゼミの雰囲気が、具体的にはゼミの課題に取り組む学生さんの姿勢が、大きく変わってきてしまう。「就職活動で使うための」ゼミの取り組み、に意識がシフトしてしまうのだ。それはプレゼンやディベートなどを真剣に取り組むようになる、という意味では良い変化だけれども、学問的な研究の話や、それに関係する地道な取り組みを敬遠する傾向を生み出しているように感じる。おそらく、学問的な取り組みの話が、就職活動の面接などでほとんど聞かれない(重要でない)ということを学生さんが多方面から耳にしているからであろう。大学での教育とは、どちらかというと後者に重点を置くべきであると考えているので、ここからのゼミ運営は、学生さんを研究にモティベートする僕の手腕が問われる。

2010年10月26日火曜日

1026

論文の改訂作業、研究費関係の手続き。

夕方、同僚のUさんが彼の2回生のゼミ生を連れて僕の研究室を訪ねてくれた。丁度新しいMacBook Airが届いたばかりでセットアップの最中だったので少し気恥ずかしい思いがした(「あ!またそんなもの買って!」と言われそうな気がして(笑))。お茶も出さずに、しまったことをしたなぁと後で少し後悔する。

***

人と人とのコミュニケーションは、やっぱりスキルではかれるようなものではなくて、相手と、そして自分と、どれだけ向かい合うことができるかという勇気が最も重要な構成要素なのではないかと、ふとそんなことを思う。

2010年10月25日月曜日

1025

講義1コマ、演習1コマ。

どうも調子が乗らない。こういうときには、取り組む研究を変えるのが(僕には)良い。場所を変えて、気分を変えて、少しご無沙汰になっている論文の改訂作業をする。こうやってザッピングするように論文を書くよりも、1つの論文に集中して書き上げて、次、というように進める方が効率的なのでは?と思った時期もあったのだけど、どうやら僕にはこのザッピング方式が合っているようだ。(ただし本当にザッピングだけで終わらないように、気をつけなければならない)。

帰りに美味しいカレーでも食べて、秋の夜長をじっくり研究に勤しみたい。

2010年10月22日金曜日

1022

朝から夕方まで会議。その後、ゼミ生と来週のゼミナール大会の打ち合わせで研究室で面談。

ゼミ生さんたちの成長ぶりに、とても嬉しい気持ちになる。やはり、知識をインプットするという勉強も大切だが、それを表現(アウトプット)する機会やその経験も、とても重要なものなのだなぁと再認識する。「中身もないのに発表(プレゼン)のスキルだけ磨いても仕方がないのでは?」と、ゼミ運営に関しては僕もずいぶん悩んだことがあるのだけど、プレゼンの経験を積むに連れて、「もっとレベルの高い内容のプレゼンがしたい」という、知識習得への欲求も生まれてくる。

彼(彼女)らは、この短期間で目を見張る程、成長している。そういう姿を間近で見ることができるのは、この仕事の大きな喜びの一つだ。


共同研究において、Dropboxでファイルを共有する試みがうまく行きそう。一つのLaTeXファイルを、メールでやりとりすることなく好きな時間にいつでも更新することができるシステムは、画期的だと思う。これから、その機能が最大限発揮され、共同研究がうまく行くことを期待している。


2010年10月21日木曜日

1021

講義1コマ、演習1コマ。

体調は随分良くなってきた。月曜・火曜とおサボりしてしまった仕事を挽回したい。

AppleからMacBook Airの新型が出るということで、早速購入手続きをする。現在使っているPowerBookも随分古くなってきたし、iPadは「読む」&「講義のプレゼン」には大活躍だが、やはり外でもMathematica & LaTeX などを動かしたい。商品到着は来週末になるよう。それまでに取り組んでいる論文一つを、投稿まで漕ぎ着けて、すっきりした形で弟分を迎えたい。

1020

講義1コマ、演習1コマ。

風邪の具合が酷く、朝1限からレッドブル&リポDを流し込んで何とか講義を行う。演習では、現4回生ゼミ生さんが3回生のゼミに来て、「就活座談会」と題し、情報交換やアドバイスをしてもらう。大学新卒の就職環境も、とても厳しいものだが、それは就職した後の人生についても同じこと。常に希望を持って進んで欲しいと願う。

午後は体調が回復してきたので、研究に打ち込む。Hさんとの共同研究の作業と、投稿まであと少し、という自身の論文の改訂を行う。自分の論文が出した結果を、あまりに大袈裟に表現するのも良くないが、あまりに控えめに表現するのも宜しくない。どうもこのあたりは、論文改訂中の自分の心境(心の持ち様)に大きく影響を受けるようだ。夜は情熱的になり、昼間は謙虚になる傾向があるようだ(笑)

2010年10月19日火曜日

1019

風邪で丸一日ダウン。

布団の中で、現在取り組んでいる研究(unpublishなもの)の見直し。中途半端で終わらせているものがたくさんある。これらはどこかの雑誌に掲載されなければ、「最初から無かったに等しい」ということを心に留めておくべきだ。たとえ新しい研究に自分の興味が奪われてしまっていても、やりかけのものを放っておくのは良い選択ではないのかもしれない。不良債権化した研究、とも言える。研究に関する自身のエフォート配分をしっかりやらなくては…って、これものすごく経済学的な問題(笑)

(中途半端な研究に注いだエフォートはサンクしコストだ、とのツッコミが聞こえてくる)

2010年10月18日月曜日

1018

講義1コマ、演習1コマ。

風邪をひいてしまい、講義後は研究室に倒れ込む。なんとかレッドブルを飲んで元気を出して家に帰る。

1017

気付けば今日もこんな時間。

Hさんとの共同研究を進める。以前のバージョンで直感に反する結果が出たのはモデルの構造が良くなかったからであるが、そこを訂正して分析を進めると、ほとんどの結果が妥当(reasonable)であることがわかる。しかしここで「至極妥当な結果(だから面白みがない)」という判断は単に「メカニズムを考え・知り尽くした作者だから」という可能性もある。こういう時には、結果だけをシンプルに第三者に話してみて、意外なのか妥当なのかを聞いてみれば良い。

色々な締め切りが目前に迫って来ている。計画的に仕事をこなしていかなくちゃ。

2010年10月16日土曜日

1016

昨日見つけた僕の研究のモデルの不備が、なんと先行研究の多くでも存在する不備であることがわかった。その先行研究の中には、RAND J. Econ. などの一流雑誌の論文も含まれていた。これを指摘するだけでもペーパーになるような気がする。同様のモデルセッティングを行っているIO系の研究はないか、探してみることにする。

ずいぶんと秋らしい、涼しい気候になってきた。読書の秋などと言われるぐらいだから、秋の夜長はじっくり研究に打ち込みたい。

1015

長く続いた会議、その後はHさんとの共同研究論文に取り組む。

会議では、FD(ファカルティ・デベロップメント)と呼ばれる「教育水準を高めるための組織的な取り組み」の一環として、「ミクロ・マクロ経済学の導入教育」について話し合う。学生さんに要求する数学の水準について、やはり各教員間で差があるよう。僕は個人的に、(学部教育においては)微積分など必要ないような気がしている。どちらかと言えば大切なのは「考え方」の方で、計算が解けるようになることではないからだ。

共同研究を進める中で、どうしても納得がいかない(直感に反する)結果が出てしまい、それがもっとプリミティブなモデル(具体的には生産の限界費用一定・線形需要の2社の同質財クールノー競争)でも、その納得がいかない結果が出てしまい、頭がおかしくなりそうになる。2時間程考えて、原因が判明する。そのおかげでモデルの設定を大きく変更することに決めた。一週間前に逆戻り。それでも研究とはそんなもの。やり直しを恐れていては、何もできない。

2010年10月14日木曜日

1014

講義1コマ、演習1コマ。

ゲーム理論の講義で、学生さんに映画Beautiful Mindのワンシーンを見せ、ナッシュ交渉解の概念とその応用例を少しだけ解説した。そこで、

「AさんとBさんが2人で協力して仕事をすると合計30万円の報酬が得られる仕事が可能である。しかし、協力せず、互いに独立に仕事をするとAさんは10万円の報酬が得られる仕事ができ、Bさんは5万円の報酬が得られる仕事ができるとする。協力する場合、30万円の取り分について話し合う必要があるが、さて、その取り分はAさんにいくら、Bさんにいくらであるべきだろうか?」

というクイズを出す。グループのために協力する、という概念と、自分の分け前を大きくしたい、という概念が混在した面白い問題だ。今日はある学生さんが、その答え(あくまで単純なナッシュ交渉解だが)を、即座にピタリと言い当てた。そしてそうなる理由、についても、ナッシュが考えた公理系に相当するもので、驚いた。


講義の後、Hさんとの共同研究を進める。「一瞬、直感に反するが、よく考えると理解できる」という、とても良い結果が得られる。論文は益々良くなってきているという手応えを感じる。楽しくて、時間を、食事を、水分補給を、忘れてしまう。


(補足)
ちなみに上記の交渉問題の答えは、「Aさんが17万5000円を、Bさんが12万5000円を分け前とする。」が、素朴なナッシュ交渉解です。




2010年10月13日水曜日

1013

講義1コマ、演習1コマ。

午前中に講義を全て終え、午後はHさんとの共同研究論文の執筆。今の段階で得られている主要な結果をまとめ、LaTeXで入力していく。今の段階では「割と面白い」という程度なので、これからさらに拡張を考える。うまくいくかどうかはまだわからないが、作業していて楽しい論文であるように感じる。最近、論文を書くのも読むのも、楽しくて仕方が無い。これは本来、当たり前のことかもしれないが、なかなか心から楽しいと実感できる瞬間はこれまでそう多くなかった。今のとても良い状態の時に、たくさん仕事をこなしてしまおう。

夕方、ゼミ生のN君が研究室に。元気そうな顔を見せてくれて、僕も元気をもらう。逆境を跳ね除けて、頑張って欲しい。

2010年10月12日火曜日

1012

卒業生のM君が研究室来訪。

昨今の若者に対する厳しい労働・雇用環境の中、彼もとても苦労しているという話を聞く。特に、厚生省の緊急雇用対策(こちら)が、あまりよろしくない経営者の行動を引き起こしているという実例に関して、いくつか話を聞いた。

彼には「自分がこれまでやってきた事、自分が身につけてきたスキル」などを、きちんと自分で振り返り、そして認識すること。また、それを他者が理解できるよう説明(プレゼン)する力を身につけてください、とアドバイスをした。

どんなにつらい労働環境の下で働いていたとしても、その仕事に就く前の自分と今の自分との間には、何か必ず「できるようになったこと」「成長したこと」「学んだこと」があるはずで、それは(悲しいかな)他人が教えてくれるようなものではなく、決まって自分で理解して、自分で評価して、そして他人に伝える努力をしなくてはいけない。それが自分を(自分の経験を)大切にするということなのだと僕は思う。だから、定期的に自分の通知簿をupdateするのも良いと思う(職務経歴書を定期的に作り直すようなもの)。数々の苦労から、たくさんの経験を得ている彼だからこそ、できることがある。頑張って欲しい。

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年末の12月18日(土), 19日(日) と早稲田大学において開かれる国際シンポジウム "GLOPE-II International Symposium Political Economy of Institutions and Expectations II -Perspectives from Economics, Games, and Lab Experiments" にて、
法政大学 寺井先生の論文 Strategic Voting on Environmental Policy Making: The Case for "Political Race to the Top" (joint with Yukihiro Nishimura) の Discussantを務めさせていただくことになった(プログラムはこちら)。

このシンポジウムには、カリフォルニア大学アーバイン校の Amihai Glazer 氏(私は院生の頃から彼の論文を好んで読んでいた)も来られるとあって、とても楽しみなものなのだ。さらに他の国内からの参加者の先生方も、私が尊敬している人達ばかり。このような場で、私がどこまで貢献できるか自信がないが、実りあるシンポジウムにするために尽力したいと思う。今回の寺井先生の論文は、私の直近の公刊論文と関連がある(と伺っている)ので、多くのことを学びとれる機会になれば良いと思う。

論文投稿の際に使用する英文カバーレターの雛形

論文を投稿する際に、カバーレター (coverletter) を添える必要がある場合があります(最近ではオンライン上でそういうものが必要ないケースが多くなってきました)。以下に私がよく使用するテンプレートを掲載しておきます。使用は自己責任でお願いします。また、間違いや改善案などがございましたら、コメントいただければ嬉しく思います。


January 1, 20XX


Prof. DDr. [Editor's name]
Department of **
University of **
[Address]


Dear Dr. [Editor's name]

Please find enclosed [or attached] my manuscript entitled "[Paper's title]" for your consideration on its publication in [Journal's name]. This paper is my original work and is not under review by any journals.

In this paper, we examine ~ [simple explanation for objects, results, and contributions of the paper].

I am looking forward to your reply, hopefully saying this article is accepted in your journal.


Please send any correspondence to:
[your name]
Department of ** , ** university
[Address]
[Email]


Yours, sincerely,



[your signature]




Encl. # of copy of my manuscript and receipt for submission fee [if any]

2010年10月11日月曜日

1011


昨晩深夜に投稿した論文に関して、早速エディターからEメールが届く。

要約すれば、『お前らが送った論文は、うちの雑誌のポリシーに合わないので、同系列の他の雑誌に送ったらどう?』というもの。言葉は柔らかいが、ただのエディターリジェクトなのかもしれないと思うとかなり切ない。しかし、同系列他雑誌に送るなら投稿料は免除するようにしてあげる、というコメントがあったので、そうではないのかもしれない。ここはエディターの言葉を信じて、奨められた雑誌への投稿を考えることにする。何にしても、早くゴールを迎えて、気持ちを新たにこの先の研究分野をLさんとは切り開いていきたい。

ノーベル経済学賞、やっとPeter Diamondが受賞されたよう。僕の大学院時代の指導教官の先生も喜んでおられるだろうかな。

(写真は椎茸狩の場で撮影した蜻蛉)

2010年10月10日日曜日

1010

Lさんとの共同研究をワーキングペーパーとして公開した。

水平的&垂直的な関係にある企業間での戦略的提携の問題を考えている。合併の分析と違って「提携」では、価格(もしくは数量)に関する協力的な意思決定が行われるだけであって、そこで上がった共同利潤を「分け合う」という必要性がある(合併の場合は、文字通り2社が1社になるので、利潤の分配を考察する必要性はない)。協力的な意思決定により上がった結合利潤をNash交渉で分けるとして、この論文は水平的&垂直的関係がある3つの企業間で、どのような提携相手の選択が行われ、そしてそれが市場や社会厚生に及ぼす影響を考えている。

後は投稿準備をして(投稿規定をよく読んで)、送り出すのみ。今日中に仕上げてしまおうと思う。

2010年10月9日土曜日

1009

研究会に参加。その後、以前メールをくれた大学院生のHさんと、僕の研究室で研究打ち合わせ。

研究会には少し遅れてしまったせいで、同じ大学のK先生の報告を一部聞きそびれてしまい、とても残念だった。それでも、僕の好きなタイプの研究だった。頂いた論文をきちんと読んでみたい。K先生には、(失礼にあたるかもしれないと心配しながらも)先生の論文に関連ありそうなAERの論文をお渡しさせて頂いた。


研究会後に大学院生のHさんと、以前頂いたある論文の拡張に関して話し合う。僕の中では進めるべき方向が見え始めているので、もう少し色々試してみて、物になりそうであるなら形にしたいと思う。

研究会の途中に、少し面白そうな研究アイディアを思いつき、急いでメモ書きした。こういうことがあるから、研究会に参加して頭に新鮮な風を吹き込むことは、やっぱり有益なことだなぁと実感する。


2010年10月8日金曜日

1008

昼から夕方まで、果てしなく続く会議。その後、共同研究者のLさんと打ち合わせ。

会議後、Lさんとの共同研究をある雑誌に投稿する前段階として、Working Paperとして公開することにした(たぶん近日中に公開される)。そのための修正と手続きなどなどやっていたら、お昼ご飯を食べることができずに20時を回ってしまった。最近食事をとることを忘れがち。やはりまたソイジョイを箱買いして研究室に置いておいた方がよいのかもしれない。

この論文を投稿し終えたら、溜まっている自分の論文のリバイズもして、早く旅立たせてあげなくちゃいけない。モタモタしている時間はない。

民主主義の程度と環境破壊の関係は逆U字?

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Buitenzorgy, M., Mol, A.P.J., "Does Democracy Lead to a Better Environment? Deforestation and the Democratic Transition Peak", Environmental and Resource Economics, forthcoming.
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民主主義の程度と環境破壊との関係を分析した実証論文。民主主義の浸透は環境を改善するという研究や、逆に民主主義が環境悪化をもたらすという両極の研究がある中で、この論文は民主主義と環境破壊(森林破壊を用いる)との関係に逆U字の関係があることを示している。つまり成熟した民主主義と非民主主義制度は環境破壊が少なく、民主主義に移行中の国家において最も環境破壊が多く見られる、という関係である。そして民主主義の程度は、所得よりも環境破壊を説明する説明力があるという。

実証分析の精度に関しては精査していないが、なぜ「非民主制の国家や成熟した民主主義国家よりも、民主制へ移行中の国家において最も環境が破壊される」という結果が得られるのか?の説明は興味が湧いてくる。著者たちの予想は以下のようなものである。

『非民主制の国家では、国家の力が強く、民間(市民)社会は発展していない。このような場合には、"強者である"国家は、"弱者である" 民間市民や企業が環境破壊的な行動をとるのを容易にコントロール(もしくは制限)することができる。しかし民主制へ移行中には、弱まった国家の力に対抗するようなパワーが未だ民間(市民)社会に存在しない。だから環境をコントロールするパワーが不在となる。一方で、より民主化が進むにつれて、民間(市民)社会は弱まった国家の力に対抗するパワー(透明性 (transparency) やメディア, NGO団体や説明責任のメカニズムなど)得るようになるからである。』

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(2010.10.08 追記)
国民所得と環境汚染との相関については、”環境クズネッツ曲線(Environmental Kuznets curve)”というものが知られている。工業化が進むにつれて所得が増えるが環境汚染が進み、ある程度所得が大きくなると環境への選好が大きくなり環境汚染が改善されるというもの。

この環境クズネッツ曲線に関して、シンプルなmicrofoundationを与えた理論&実証研究として、Andreoni and Levinson (2001) J.Pub.E がある。排出(環境破壊)削減に関する技術的関係から、所得と汚染とのいくつかのパターンを導出できるというもの。(具体的には排出(汚染)削減技術が、汚染財消費水準と汚染削減努力に関してincreasing returnであれば、逆U字の関係が得られるというもの)。

昔この論文を読んだときには、あまりによく出来すぎた仕組みに思えて、その論文の評価を付けがたい気がしていた。しかし今、Google Scholorで見ると、このAndreoni-Levinson論文は 336件の引用があることがわかる。今や定番の解釈となっているのだろうか。

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(2010.11.12 追記)
環境クズネッツ曲線に関しては、Brock and Taylor (forthcoming in Journal of Economic Growth) の研究も面白い。この研究では、環境クズネッツ曲線が、ソロー成長モデルが密接に関係することを理論・実証的に明らかにしている。簡単に言うと、ソロー型成長モデルで逆U字曲線が簡単に導けるというものである。直感は以下の通り。
収穫逓減より、経済発展初期では急速なoutputの成長が起こり、それに伴い排出が増える(排出削減技術の進歩をoutput growthが上回る)。後に経済が均衡成長経路に近づくにつれて、経済成長は減速し、それを上回るabatement技術の進歩により排出が減る。収穫逓減と技術進歩の相互作用がキーポイントとなる。

同様の理論的直感は、John and Pecchenino (1994: Economic Journal)におけるOLGモデルでも得られていたような記憶があるが、実証までは至っていなかったように記憶している。
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参考
・Andreoni, J., Levinson, A., (2001) The simple analytics of the environmental Kzunets curve, Journal of Public Economics, 80, 269-286.
・John, A., Pecchenino, R., (1994) An Overlapping Generations Model of Growth and the Environment, Economic Journal, 104, 1393-1410.
・Brock, W.A., Taylor, S., The Green Solow Model, Journal of Economic Growth, forthcoming.

2010年10月7日木曜日

1007

講義1コマ、演習1コマ。

ようやくこの講義スケジュールにも、体が慣れてきた。講義が終わった後にはクタクタになるが、少し休めばすぐに研究の頭に切り替わるようになってきた。

以前研究会で僕が彼の論文の討論者をさせてもらったことでお知り合いになった大学院生のHさんからメールが届く。僕が興味を持っていた理論モデルの拡張をやってみた、ということだった。こちらも勉強になるし、素直に嬉しい。良い結果になるように、僕も努力したい。

2010年10月6日水曜日

1006

講義1コマ、演習1コマ(延長して2コマ)、その後卒業生のH君、3年生のゼミの学生さんと面談。院生のK君と面談


同じ大学のF先生のゼミと僕のゼミで、来る学内ゼミナール大会に向けての予行演習的なものとして、合同ゼミ発表会をおこなった。
やはりゼミの枠内を超えてプレゼンテーションをする機会は、学生さんにとってとても有益なものであると感じる。互いのゼミの教育方針や色は異なるもので、それぞれが相手のゼミの学生さんから良い刺激を受けたように思う。この機会を作って頂いたF先生にも大変感謝する次第である。

僕のゼミの学生さんたちも、この1年程で随分と成長したように思う。プレゼンテーションの能力も、研究内容のアカデミックな提示の方法も、いつの間にかずいぶんと身に付けている。何より、楽しそうに自分たちの研究内容を報告しているその姿勢に、見ている僕も、嬉しくなった。僕のゼミの学生さんの報告レベルが低くてF先生のゼミに迷惑をかけてしまったらどうしようかと、事前に少し心配していたが、その心配はなく、充分に双方が刺激を与え合ったのではないかと思う。若い人は期待すれば期待した分だけ、ちゃんと成長してくれるものだ。
(もちろん、この成果の裏には、合宿中に行った事前の中間報告での「場慣れ」や、そこでU先生に頂いたコメントなどがうまく機能したのだと思う。)

学生さんから、元気をもらったので、今から僕も負けないように自分の研究に取り組むことにする。

2010年10月5日火曜日

1005

論文のリバイズ。まだ最初の投稿でリジェクトをもらっただけの論文なので、次に期待して手直しする。しかし、何度も見ていると正直飽き飽きしてしまって、文章を読むのも(そしてその退屈な文章に)手を加えるのも、気持ちが乗ってこない。それでも、次にアクセプトされることを具体的にイメージして、やる気を高める。

具体的にイメージすることは、特に何かある目的に向かって努力しているときには、僕にとって大切な儀式である。エディターからアクセプトのEメールが届きそのレターを心躍らせながら読むシーン、自分の論文が初めてWeb上に掲載されブラウザで開き見るシーン、自らの業績欄に"forthcoming" 付きで一つ項目を増やすシーン…etc. こういう具体的なシーンを想像して、それに向かってやり遂げる。それだけ。

論文のアイディアが生まれてそれを形にする初期段階は、とても楽しい。しかしその後、それをパブリッシュさせるまでの道のりは、そう平坦ではない。物理的にも精神的にも。だから、こういう作業で、モチベーションを保つ必要がある。少なくとも僕には。

2010年10月4日月曜日

1004

講義1コマ、演習1コマ。その後、学生さんとの面談を終えて、ようやく夕方から研究時間を確保できた。

12月に関東某所で開かれるとある国際シンポジウムに、論文報告の討論者(Discussant)として、お招きを受けた。僕にとっては憧れの存在である経済学者がたくさん集まる機会でもあり、とても光栄に感じる。お誘い頂いた先生方の顔に泥を塗らぬよう、微力ながら貢献できるよう努めたい。(シンポジウムのプログラムがfixし次第、ここでアナウンスさせて頂くかもしれません)

12月は出張が多くなりそうで、今からとてもワクワクしている。恥をかきそうな場面を経験すればするほど、結果的に恥をかかないようになる(逆も真なり)。

価格競争と数量競争の比較:公企業と私企業との(混合)複占市場において

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Ghosh, A., Mitra, M., "Comparing Bertrand and Cournot in mixed markets", Economics Letters, forthcoming.
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社会余剰の最大化を目的とする公企業と、自社の利潤最大化を目的とする2企業の複占市場において、ベルトラン(価格競争)均衡とクールノー(数量競争)均衡の比較を行う。

両社ともに私企業である(製品差別化を含む)標準的なベルトランとクールノーの比較では、クールノーよりもベルトランの方が (1) 低い財価格 (2) 低い企業利潤 (3) 高い生産量 (4) 大きな消費者余剰、社会余剰 をもたらすことは有名である。この比較は、例えば非対称(生産)費用を考えると成立しなかったりするのだが、この論文では「公企業の存在」を考えると、上記の結果が成立しないことが明らかにされる。生産費用は対称的、かつ限界費用一定のシンプルなモデルで考えている。


結果は以下の通り。(1) 公企業はベルトランよりクールノーの時の方が低い価格をつける(私企業の方はambiguous) (2) 公企業のアウトプットはクールノーの時の方が大きく、私企業の方はクールノーの時の方が小さい (3) 両企業の利潤はクールノーの時の方が小さい (4) 厚生はベルトランの方が高い、などが得られる。

特に注意が必要な直感は「なぜ公企業がクールノーの場合に、ベルトランよりも低い価格をつけるのか?」であろう。この直感は以下の通り。クールノーの場合に公企業は、私企業の生産水準を所与として、厚生を最大にするべく生産量を決める。私企業がどのような生産量を選んでいたとしても、厚生を最大にする生産量水準を導くには、(公企業製品)価格と限界費用が等しくなるまで生産するのが良い。よって限界費用プライシングとなる。一方、ベルトランの場合、公企業は限界費用プライシングよりも価格を引き上げることで、公企業製品から私企業製品への消費者による代替を促せる。そもそも、私企業製品の過少供給の方が厚生を引き下げる要因としては大きいはずなので、この代替行動が厚生に及ぼす影響はネットでプラスとなる。よって、公企業は限界費用よりも高いプライスをつけることとなる。


例として、線形需要のケースが分析されている。総生産量はクールノーの方が大きく、公企業製品価格もクールノーの方が小さい(私企業製品価格は等しい)。当然、消費者余剰はクールノーの方が大きくなる。しかし、厚生に関しては、やはりベルトランの方が大きくなる(これは標準的結果と等しくなる)。この結果を著者たちはsurprisngと強調している。確かに、不完全市場において、総供給量がクールノーの方が大きく、両財の価格もクールノーの方が低くなるのにも拘らず、厚生が低いのは(逆に)驚きの結果だと言える。これに関しては、あまり説明が出来ていないようにもおもえるが、これは「総生産量はクールノーの方が大きいが、両財の消費量のは、ベルトランの方が小さくなる」という事実と、効用関数の形状(効用関数が両財の消費量の差を嫌う)を組み合わせて完成、となるのだろう。

(ところで2財から効用を得るという効用関数(一般形)の(2財消費量にかんする)交差偏微分が負であるという仮定((∂2U(a, b))/(∂a ∂b) < 0 )が普通になされているのだが、これは良いのだろうか。代替財の(逆)需要曲線の特徴を都合の良いようにするために課されているのだろうが、この分野では一般的なのか、少し戸惑う。)

2010年10月3日日曜日

1003

過去にもらったリジェクトレターを読み返すと、そこに親切にも新しいアイディアが書かれてあった。そのレフェリーからのコメントには、「このアイディアを発展させてやってみたらどう?」とある。僕には素晴らしいアイディアのように思えるのだけど、それをいとも簡単に「やってみたら?」と言えるこのレフェリーは大物に違いない。

2010年10月2日土曜日

1002

仕事が滞りがちにもかかわらず、一週間の疲れからか、随分と長い時間眠ってしまう。もう少し計画的に仕事をこなしていかなくちゃ、と自戒する。

2010年10月1日金曜日

1001

全国的に内定式が行われた10月1日。僕のゼミ生さんたちも、各々気持ちを新たにしていることだろう。10月1日はまた、2010年度の折り返し地点でもある。年度毎に予定を立てている僕にとっては、振り返るのが怖い折り返し地点だ。計画していた通りに研究は進んでいない。下半期はもう少し研究時間の確保のために工夫しなくては、と思う。
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朝から夕方まで、延々と会議。夕方ようやく解放された後、いくつかの用事をこなし、遅い夕食を取りながらパソコンに向かう。ようやくレフェリーレポート1通を書き上げた。気持ちよくアクセプトの通知を出した。この査読を通じて、僕も色々と勉強させてもらったことは収穫だった。

少し眠いが、今日は調子が良いようなので、これからレッドブル注入して、自分の研究に取りかかるとする。